冷血
1967年アメリカ監督:リチャード・ブルックス
出演:スコット・ウィルソン、ロバート・ブレーク、ジョン・フォーサイス
(´▽`)つ★★★★☆
<ストーリー>
1959年11月14日深夜、カンザス州のホルカムで、クラター家の4人が殺害される事件が起きた。
腕利きの刑事たちがただちに捜査を開始するが、手掛かりは犯人のものと見られる靴跡だけ。
犯行の動機が見当たらず、捜査は難航する。
※ネタバレ含んだ記事です。
実際に起きた事件を6年の歳月をかけて仕上げた、トルーマン・カポーティのノンフィクション・ノベルの映画化。
この映画は、捜査をする刑事が主体ではなく、犯人であるディックとペリーの行動を主に、彼らの犯行前後も詳細に描いている。
動機なき殺人・・・ということで、当時のアメリカでさえセンセーショナルな事件だったのでしょう。ディックとペリーは、いわゆる強盗を目的にクラター家に忍び込んだ。
そのクラター家を選んだのは、ディックが刑務所に入っている時にクラター家で働いてた人物から、その家には金庫があると聞いたから。
しかし、結局盗んだ金額は40ドル、そしてラジオ。
実際には、クラター家には金庫はなかったということです。
たった40ドルのために、4人を無惨にも殺害したディックとペリーはどういう人間なのか?ということで彼らにフォーカスし、生い立ちも含めて犯罪に走りやすい人格を炙り出そうとした作品ですね。
ディックはパッと見、極普通の青年。人当たりも良く、愛想も良い・・・だけど、どこか地に足をつけていない雰囲気で、人生を投げやりにしている感じ。
割り切り方が良いっていうのか、狡賢さもあり、何でも自分で仕切る。
一方のペリーは、芸術や音楽が好きで大人しい。
結構他者に思いやりを持って接するんですけど、突然見境がなくなって爆発する激情型。
2人を取材していたカポーティは、特に自分の幼い頃の境遇と似ているペリーに共感して興味を持つわけですね。
カポーティは「同じ家で育ち、彼は裏口から出ていき、私は表口から出た」と言っています。
ペリーは父親に虐げられても、自分が幼い頃に父親から聞かされた宝探しをすることを真剣に夢見ていたんですね。だけども、父親を憎んでいる。
ペリーを演じるロバート・ブレークは、そんな不安定さを持つ人物を上手く演じていました。
逃亡中、ディックとペリーはヒッチハイクをしていたお爺さんと孫の少年を車に乗せ、少年はお金がないから空き瓶を拾ってお金に変えるんだと話します。
道中、少年と嬉しそうに空き瓶を拾っていたペリーの姿は、彼の本当の人柄を見るようでした。
そして、車を盗んで手配されている最中に、とりあえず窃盗の容疑で2人は逮捕される。
後に、クラター家の4人を殺害した証拠を突きつけられ、自白。
1960年3月22日に裁判が始まり、死刑の判決が下された。
何度か控訴していく内に5年の歳月が流れ、1965年4月14日にディックとペリーは最期の日を迎えた。
処刑前、ペリーは自分の思いをカポーティに吐き出すんですけど、窓に打ち付ける雨粒がペリーの顔に反射し、それがまるでペリーの涙のように流れていく映像が印象的でした。
ラストは、結構強烈。
■関連作品:>>「カポーティ」

ミスター・グッドバーを探して
1977年アメリカ監督:リチャード・ブルックス
出演:ダイアン・キートン、ウィリアム・アザ−トン、リチャード・ギア
(´▽`)つ★★☆☆☆
<ストーリー>
6才の頃にポリオにかかり背骨の曲がる病気を患ったテレサは、昼は聾唖学校の教師をしているが、夜は酒場に通い男を漁る生活を送っていた。
NYで起きた女性教師殺人事件をヒントに、1975年に出版されたジュディス・ロスナーの小説を基に映画化された作品。
時代的に、自由奔放さの新しい価値観に警笛を鳴らすような意味合いを持った作品なのかはわからない。
約30年前に私が大人だったとして、この映画を観たら理解できる部分はあったのかもしれないけれど、現時点で観た限りでは「愚かな女」としか見ることはできなかった。
テレサは自分の病気が心の奥底に重い影を落としていたから孤独だったのか、育った環境がそうさせたのか、それとも安易にフリーセックスへの憧れだったのか・・・いずれにしても、肉体の快楽に溺れていった女であることには違いない。
テレサにとって、耳が不自由な子供たちへの教育に活路を見出すこともせず、中心は夜の男漁り。しかも、愛を伴った関係よりも肉体を満たしてくれる男に惹かれていく。
真面目で結婚を前提に付き合えそうな男はうっとうしく、なんかフラフラしているようないい加減な男ばかりとベッドを共にしちゃう。
この作品でのダイアン・キートンは、そういう半端な雰囲気を出していたとは思う。
少々影のある雰囲気とでもいいますか・・・。
それでいて、教師の時の顔はしっかりしている。
ちゃんと昼と夜の顔を使い分けてるなぁ〜というのは、見て取れた。
でもこの人は、ちょっとズッコケ役の方が似合ってるかもなー。
さて、若いリチャード・ギアのヘタクソな演技は痛々しいし、真面目でストーカーみたいになっちゃってるウィリアム・アザ−トンは変に怖いし・・・って感じでした。
最後に出てきた、ゲイのヒモになってたトム・べレンジャーは美味しいところをかっさらい。
みんな、まだ青かったんですねー・・・と、この映画ができた30年後に観た私の印象。
そして、時代を超えて観るに耐えられる映画であるかどうかは、疑問です。
女として見て、胸くそ悪くなった女の人生。

屋根の上のバイオリン弾き
1971年アメリカ監督:ノーマ・ジュイソン
出演:トボル、ノーマ・クレイン、ロザリント・ハリス他
(´▽`)つ★★★★☆
<ストーリー>
帝政ロシアの圧制の中、ウクライナ地方のアナテフカのユダヤ人テビエは、妻と5人の娘たちで貧しくとも温かい家庭を築き、信仰と古くからの伝統を守って暮らしていた。
テビエが年頃になった上の娘たちをなんとか裕福な男と結婚させたいと願っていたところに、長女の結婚話が舞い込む。
ところが、長女には仕立て屋モーテルという恋人がいた。
そして、次女は革命を目指す学生を追ってシベリアへ行き、三女は異教徒のロシア人青年と駆け落ち。
そんな中、ロシア革命の波が村に襲い掛かかり、ユダヤ人迫害が始まる。
1960年代にブロードウェイのミュージカルとして絶賛を浴び、それを映画化した言わずと知れた有名な作品です。
舞台でテビエを演じたトボルが映画でも起用され、作品は1971年のアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞とあらゆる賞を受賞。
超有名な作品に限って、私はなかなか観ないんですよ〜。有名過ぎるし、評判が良いことは事前に十二分に知っているし、自分の中で興味を持たない限りは「じゃあ、私も観てみようかな」って気分にはならないんで・・・(;´∀`)
ホント、天邪鬼で自分でも困るんですが・・・。
この作品は、ユダヤ人の信仰心や伝統という確固たる信念と押し寄せる「個人主義」という時代の変化に戸惑い、一方でユダヤ人がいつまでも安住の地を得ることができない民族で在り続ける嘆きをテビエの視点で淡々と描いている。
ミュージカルと言っても、それほどワザとらしく歌い出すこともないので、違和感はありませんでした。中でも、「サンライズ・サンセット」はよく知ってる曲ですけど、映画を観ながら聴いて、初めて涙が出ました。
親が子の旅立ちに対する想い・・・っていうのが胸にきましたねー。
長女の結婚式のシーンは、ジ〜ンとしました。
それから、次女がシベリアに旅立つ時の列車を待つシーンや、三女が父親から結婚を許されず、嘆く姿がシルエットになってるシーンは印象的。
さて、この作品がヒットしたのは、世界各地に散らばったユダヤ人・・・当然アメリカにも多くのユダヤ人が移民したことに尽きると思います。(1880年〜1925年 アメリカへの移住者400万人にものぼるそうです)
そして、旧約聖書から引用したセリフの数々。
アメリカでウケないはずがありませんが、その辺の宗教心からかけ離れている日本人は、やはり家族愛に心を打たれるという点でしょうね。
タイトルの中の”バイオリン弾き”は原題で「FIDDLER」なんですが、「ペテン師」という意味合いで使うこともあるそうです。
ユダヤ人は「ユダヤ教という屋根の下に暮らす民」だそうで、だから屋根の上にいるのは神様なのです。
ユダヤ教の神様の思し召しの通りに我々は真面目にやっているのに、いつも苦難を与えるペテン師だ・・・という風にタイトルを解釈できますね。
ですから、テビエも上を見上げるシーンが多いのかもしれません。

定住地のない民族・・・ユダヤ人の歴史は迫害が付きまとっていて、職業と居住区の制限を受け、区別をするために服装も帽子をかぶるなどが義務付けられてたんですね。
劇中、ロシア当局からの命令で村を追い出される時、「だから我々はいつも帽子をかぶってるのだ」というセリフがありましたけど、私たちにはわからないジョークなんでしょう。
そして、テビエ役のトボルが素晴らしいんですよねぇ〜。
彼はこの作品の時にはまだ30代だったそうです・・・見えませんけど(;・∀・)
この作品の後は、なぜか「フラッシュ・ゴードン」に出てます。
3時間近くもある作品ですけど、見入ってしまう作品でした。

















