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ボクシング・ヘレナ

1993年アメリカ
監督:ジェニファー・チェンバース・リンチ
出演:シェリリン・フェン、ジュリアン・サンズ

(´▽`)つ★★☆☆☆

<ストーリー>
母親の優しい愛情を得ることなく育った青年医師ニックは、母親の亡き後に母親が暮らしていた豪邸に移り住む。
恋人のいるニックだったが、一晩過ごした女性へレナのことを忘れられずにいた。
ある日、ニックはヘレナと再会し、ヘレナへの気持ちを更に熱くする。何とかヘレナの気を引こうとする度に冷たい態度で逃げられてしまうニックだったが、車にはねられ重症を負ったヘレナを偶然見つけ、自宅へと連れて行く。
ニックにとっての愛の表現は、ヘレナを徹底的に監禁する行為でエスカレートしていくのだった。


※ネタバレ含む記事です。


D・リンチの娘の監督作品で、内容が内容なだけにヘレナ役を巡ってひと騒動あった作品として有名になった。
ヘレナ役の候補であったマドンナから断られ、キム・ベーシンガーは途中降板・・・一方で、「モーリス」を不健全だと降りたジュリアン・サンズは何故かこの映画は健全だと判断したらしく(?)ご出演(´▽`lll)
boxing3.jpgまぁ、監禁というだけでなく、ヘレナが「ダルマ」になっちゃうお話なので、ショッキングではありますけどね。
ちなみに、タイトルの「ボクシング」とは「箱詰め」って意味です。
ニックは大事に大事にラッピングするみたいに、ヘレナを飾り立てるあたりは、ある意味恐ろしさの極致。
まるで人形でも愛でるみたい・・・。

ニックの母親は、彼が幼い頃優しい態度で接しなかった。
でもニックにとってそれが愛情表現だという観念が染み込んでいるせいか、ヘレナがニックを罵ったり冷たくするほど燃えるのねー。
そして所有欲を満足させるために異常な行動に出ちゃう・・・コワッ。

boxing6.jpgヘレナ役はシェリリン・フェンで落ち着いたわけだけど、最初から彼女にしておけば良かったのに・・・と思うほどキレイだし、演技も体当たりしてる。
親父さんの「ツイン・ピークス」にも出ていたお馴染の方。
話題づくりをしたかったんですかね?マドンナとかで・・・。

そういったわけで、ゴタゴタがあったり、残酷な内容であったりするので、印象がトコトン悪くなるのを恐れてか「問題の夢オチ」になっちゃったのね。
結局、固唾を飲まされた監禁は夢でした!チャンチャン♪なわけですよ・・・賛否両論にはなりますよ。
boxing5.jpg私の正直な感想を言えば、もっと違う形を考えて欲しかったな。
「はい、これはぜ〜んぶ夢でした!!」
なんて短絡過ぎやしませんか?って感じですよ。
それはそれで一考ではあるんだけれども・・・。
ま、よく考えてもみれば、ニックの都合のいいように話が展開するんで、夢でもなきゃ話が出来すぎな印象になっちゃうね(´ヘ`;)

ところで、ミロのヴィーナスがヘレナを象徴するように映し出されるっていう効果は良かった。

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2006年11月30日 映画た〜は行 1990年代 トラックバック:0 コメント:0

モーリス

1987年イギリス
監督:ジェームズ・アイヴォリー
出演:ジェームズ・ウィルビー、ヒュー・グラント、ルパート・グレイヴス

(´▽`)つ★★★★★

<ストーリー>
1909年、ケンブリッジ大学。
キングスカレッジ寮生のモーリスは、同期のリズリーに会うため訪れたトリニティカレッジでクライヴと出会った。
それ以降、モーリスとクライヴは親しくなり、ある日モーリスはクライヴから愛の告白を受ける。
一旦は拒んだモーリスだったが、自らもクライヴを友人以上の感情を持っていることに気づく。
しかし、お互いに社会へ出た辺りから、2人の関係が少しずつズレ始めていく。


原作者E・M・フォスターの自伝的小説の映画化。
ジェームズ・アイヴォリーらしく、美しい映像と音楽で禁断の愛を描いた映画。
ケンブリッジ大学や大英博物館などで撮影がされ、イギリス好きの私は「たまらんっ!」と身悶えしそうです(*´∀`*)
モーリスはお坊ちゃま育ちからか、ちょっと鈍感気味なところがあるんですけど、物凄く純粋でもある。
クライヴに「愛している」と言われ、とっさに「バカ言うな」と突き放しながら、そう言われてみると自分もクライヴのことを愛しているかも・・・と、やっと自分の気持ちに気づくんですねー。
一方、クライヴは頭が良くて野心家でもある。
その頭の良さで世間をいろいろ知っていくと、同性愛はヤバイ・・・ということに気づく。

20世紀の初めの頃は、イギリスでは同性愛は認められないどころか犯罪扱いされていた。
大学の授業でギリシャ文学の授業中、同性愛を綴った文面を「ギリシャの悪習」と教授が言い放つほど、タブー視されていた。
学生の間はクライヴもさほど気にしていなかったが、友人のリズリーがそれによって逮捕され、約束された将来も棒に振ってしまったことをクライヴは重く受け止める。
この辺から、モーリスとの間に溝が生じてくるんですね。
maurice4.jpgどうしてもモーリスはクライヴの気持ちがわからない。
ここでハッキリと、愛に対して純粋なモーリスと、社会的失墜を恐れてしまっているクライヴの価値観が表われる。

同性しか好きになれないことで、モーリスは自分が異常なのかと悩む。
当然モーリスも同性愛は許されることではないと知っていて、悶々としていることを激しい運動なんかして解消させる努力はするんですが・・・。
モーリスが診てもらった精神科医(ベン・キングスレー演じる)が、「イギリスという国は人間の本質を否定し続けた国」というセリフがありますけど、原作者E・M・フォスター自身が痛感したことなんだろうと思う。
だからこそ「モーリス」という小説は、彼の遺言により死後ずっと出版されなかった。
同性愛を扱った自伝であるゆえ、家族に迷惑をかけないために出版できるまで長い時間封印されていたそうです。

フォスターのファンであったアイヴォリーは、とにかく細部にまで拘ったといいます。
当時の服装から小物まで、本当に20世紀初頭のイギリスを堪能できます。
だから、何度観ても飽きません。
maurice3.jpgさて、映画のラストは小説と一部分前後させていますが、映画は余韻を残すということで構成的に良かったと思う。
階級制度の時代にあって、モーリスは自分よりも身分の低い人間を愛し、愛だけに生きようと決意する。
それをモーリスから告げられたクライヴ・・・絶句します。
窓越しに見えるクライヴの表情が意味ありげで、何を想っているのだろう?とずいぶん憶測をしたものです。
沢山のゲイを扱った映画がある中で、数少ないハッピー・エンドを漂わせた映画。
ウットリしながら、エンドクレジットに突入♪
音楽も本当に良くて、モーリスの世界から抜け出したくないっ!という気にさせられるほど。
だから未だに人気があるんですよねー、「モーリス」は。

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2006年11月28日 テーマ別 ゲイシネマ トラックバック:0 コメント:0

シルクウッド

1983年アメリカ
監督:マイク・ニコルズ
出演:メリル・ストリーブ、カート・ラッセル、シェール

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
カレン・シルクウッドは、カーマギー社のプロトニウム工場で働き、プロトニウムと酸化ウラニウムを混合させ、燃料材料剤を作る機械に送り込む仕事をしていた。
ある日、カレンは放射能感知機に感知され、それ以降プロトニウムの危険を上司の前で口にするようになった。
会社側にとっては、そんなカレンこそが危険なものとなり、部署換えをさせてしまう。
ところが新たに配属された部署で、カレンは会社の不正を発見。
カレンはワシントンの原子力委員会へ行き、会社の不正を報告した。
本部のポールは証拠書類を手に入れ、ニューヨーク・タイムズの記者に会うようにとカレンを説得する。


これは1974年に実際にあった実話を基に作られた、社会派な要素が多い映画です。
カレン・シルクウッドは当時28才で、ニューヨーク・タイムズの記者に会うため車を運転中に事故に遭い、亡くなりました。
しかし、その事故は謎が多くあり、暗殺されたとの見方が強いようです。
原子力の危険を訴えようと、証拠書類を車に乗せて記者に会う直前の死。
しかし、事故現場には証拠書類は消えていたそうです。

話の内容が内容だけに、映画としては娯楽性はないながらも、メリル・ストリーブは演技を超えた迫力さえ感じます。
こういう企業を告発する種の映画に「エリン・ブロコビッチ」が有名ですが、この「カレン・シルクウッド」は「ジャンヌ・ダルク」「ハンナ・セレシュ」などの女性たちに通ずるものです。


カレンはしかし、ヒロインになれた訳でもないし、歴史的に崇められてもいません。
企業という巨大な化け物の前に、あっさり殺され、亡き骸すら残っていないそうです。
それは、彼女が放射能に汚染されていたため一般の埋葬はできないからだそうで、遺骨どころか灰すらも始末されている。
映画では、カレンの事故原因が何者かの陰謀だという点はアバウトにしています。
しかし、映画を観た者には伝わってくる・・・映画という枠組みの中でできる精一杯のニュアンスだっんだろうと思う。

事故の調査資料も闇に葬り去られ、カレンの前方不注意の事故として処理されてしまったそうです。
放射能漏れという、人体に悪影響を与えることを隠蔽した企業を守る人間は一体誰なんでしょうね?

この映画は問題提議している作品であって、面白いとか、つまらないとかの次元で語っちゃいけません。
社会派映画がお好みの方は是非観て欲しい・・・と言っても、レンタルしてる店は少ないかもしれませんが・・・。

それにしても、この映画はあまり知られていないのよねぇ〜。
優雅さを漂わせている女優で有名なメリル・ストリープの正義感溢れる迫力の演技は本当に素晴らしくて、カレンの悲しみと怒りが伝わってきます。
karen.jpg

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2006年11月27日 映画あ〜さ行 1980年代 トラックバック:0 コメント:2

砂と霧の家

2003年アメリカ
監督:ヴァンディム・バールマン
出演:ジェニファー・コネリー、ベン・キングスレー、ロン・エルダード

(´▽`)つ★★☆☆☆

<ストーリー>
夫と別れ、荒んだ生活を送っていたキャシーは、税金未払いで父親の遺した家を差し止められてしまう。
しかし、それが行政の手違いだとわかった時には既に家は競売にかけられ、政変で国を追われアメリカに亡命してきた、イラン人のべラーニ元大佐に買われていた。
競売は無効だとするキャシーと、すでに正当な競売だとするべラーニが『家』を巡って対立していき、悲劇へと向かうことになる。


『美しい悲劇』と銘打って宣伝し、全米と(?)日本の一部の人も嗚咽した映画・・・らしい。
ちなみに私は『美しい悲劇』だとも思わなかったし、嗚咽どころか一滴の涙も出ませんでしたけどね(´▽`lll)
これだけ人の人生をもてあそんだ作品は、今までお目にかかったことはございません。
「理不尽」だとか「運命」だとか、そういう次元の話でもない。
簡単に言えば「執着心の賜物」であり、それが招いた最初の悲劇は奇しくも一番執着心のなかった者に覆い被さってしまった。
まぁ、それが「理不尽」と言えばそうかもしれない。

この映画は「家(ハウス)」ではなく「家(ホーム)」は何たるかを観る者に訴えているとか、「失ってわかる大切なもの」だとか、掲げているテーマは素晴らしいけれど、それを私は映画からは見出せなかった。
この映画で痛感したのは、「しがみ付くほど失うものだ」という、この世の真理だ。
手に作物の種を握り締め続けていても作物は実らず収穫もできない。作物を実らせ収穫したければ、種は手から放ち大地に蒔かねばならない・・・という教えもあるほど。

一軒の家を巡り、キャシーは過去の思い出のために、べラーニは将来の家族のためにしがみ付く。
で、べラーニはイランで大佐だったという身分にもしがみ付いてる風でもあり、お互いに妥協点も見出せずに頑なになってしまったのでしょう。
そこへ家には関係のない警官のレスターも絡んでくるから、益々話が泥沼化していくんですが・・・。
suna.png
アメリカの行政には詳しくないので、その仕組みがわからない以上何とも言えないけれど、行政の手違いが双方の混乱を招いた・・・ってことになるなら、人情沙汰に話を持っていくのは強引すぎる。

そしてこの映画、全体の映像、色使い、BGMまで「どうだ!暗いだろ?寂しいだろ?」というのが満載。
美しい映像ではあるけれど、ヘコんでいる時には見たくない。
映画の終盤寸前は話がとりあえず丸く収まるような感じだったが故に、救いようのないラストにガックリ・・・。
結局、登場人物全員、何も得るものはなかったですね。
レスターすらも。

この映画の魅力は、キャスティングが素晴らしい・・・これに尽きる。
気が強そうでいて孤独に弱いキャシーという女性はジェニファー・コネリーにピッタリだし、ベン・キングスレーの内に秘めているプライドを滲ませる雰囲気も良かった。
キャスティングが悪かったら、たぶん胸くそ悪い気分で観終っていたかも・・・(||゚Д゚)

キャシーに、「父親が遺してくれたのは、家じゃなく貴女という存在なんだよ」・・・と何度言いたかったか知れない。

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2006年11月26日 映画あ〜さ行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

コーチ・カーター

2005年アメリカ
監督:トーマス・カーター
出演:サミュエル・L・ジャクソン、ロブ・ブラウン、リック・ゴンザレス他

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
リッチモンド高校のバスケット部を立て直すため、OBでもあるケン・カーターはコーチに就任した。
カーターは練習の他に、
一定以上の成績を取ること
授業にはすべて出席し、一番前の席に座ること
試合の日にはネクタイを着用すること
という、契約を生徒にさせる。
反発の声もあがったが、カーターは自分のやり方を曲げなかった。


俗に言う「スポ根もの」のようでいて、一種違った実話に基づいた作品。
ダメ部員ばかりのチームを強くするって話はよくあり、大して目新しさを感じないと思ったけれど、ところがドッコイ・・・そればかりの話ではなかった。

リッチモンドという土地は黒人の貧困層が多く住み、そのせいかアメリカでも犯罪の多い地域として有名。
黒人の多くは低学歴で、就職することもできず犯罪に走るケースという悪いパターンになっているそうだ。
そういう背景から、ケン・カーター氏は子供たちの将来までも見据えてコーチを引き受けたというところに大きな意味を持つ。

しかし、そこはティーンエイジャーの野郎たち。
今が楽しければいい!っていう風で、自分たちが強くなることには夢中になれても、学業はそっちのけ。
みんなからチヤホヤされれば、有頂天になるだけ。
それをガツン!とたしなめるカーター。

でも一応子供たちはブーブー言いながらも従うし、バスケ部を辞めて反発していた麻薬の売人になってる生徒も戻ってきたりもするが、学校側は消極的な協力体制だし、何より一番やっかいなのが生徒たちの親。
プロからのスカウトに期待してる親もいて、勉強よりもバスケを最優先させようと躍起。
目先のことしか考えていないのは生徒よりも、大人であるはずの親なんだから始末に負えない。

バスケによってチームの誇りや自分自身への誇りは持てるけれど、人生は続くんだよ・・・ということを導いていたカーター。
たとえバスケで州一番の強さを持つチームになっても、それで先の長い人生が保証されるんでもない・・・それが現実だと説く。
m9っ`・ω・´)確かに!
carter2.jpg
この映画では、実際にバスケをやっている子を起用して出演させていたらしく、試合のシーンも充分見応えがある。
よくありがちな、終了間際に逆転というのもお約束通りでございます。

で、ふと思ったのが、それ以後リッチモンド高校はどうなんでしょうかね?
進学率が伸びてきているんでしょうか?
ちょっと気になりますね。

ちなみに、ケン・カーターの本物さんは、なかなかステキなオヤジです。

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2006年11月25日 映画あ〜さ行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

レオポルド・ブルームへの手紙

2002年イギリス=アメリカ
監督:メヒディ・ノロウジアン
出演:ジョセフ・ファインズ、エリザベス・シュー、ジャスティン・チェンバース他

(´▽`)つ★★★☆☆

<ストーリー>
ミシシッピー州の刑務所から15年の刑期を終えて出所したスティーブンは、食堂で働き出す。
スティーブンは刑務所にいた時から、母親に愛されない孤独な少年レオポルドとの文通によって、心の交流によって救いを見出していた。
そしてスティーブンは、心の支えになっているレオポルドに会うことを楽しみにしていた。


※ネタバレ含む記事です。

難解な小説(らしい)『ユリシーズ』がどうたらこうたらしている映画だそうですが、登場人物の名前に意味合いを持たせているようです。
でも、いかんせん私は小説を読んだことがないため、どうでもいいです(;´∀`)
それより、映像の色合いがとても美しかった。

レオポルドが生まれる前、彼の母親は夫の不倫を疑い、ヤケ気味にペンキ屋のにいちゃんと過ちを犯してしまう。
ところが夫は不倫などしてなかった。
その辺りで母親はレオポルドを身ごもる。
ある日、娘(レオポルドの姉にあたる)が日焼けで痛がり、夫は娘を連れて薬を買いに出かけるが、事故で夫も娘も亡くなってしまう。
そのショックで母親はレオポルドを出産・・・母親はレオポルドに愛情を抱くことができなかった・・・という背景が重要になっている映画です。

頻繁に出てくるレオポルドの手紙の一文・・・。
僕の人生は生まれる前から始まっていた。
母は僕を罪の烙印と言う。


映画は、レオポルドの辿っている出来事とスティーブンの2人を時間軸を平行させながら進んでいく。
見ているとわかるんだけれど、出てくるレオポルドは少年だけれど時代が古いことに気づく。
話が進むうちにレオポルドとスティーブンがリンクしていくのだ。
レオポルド=スティーブンであると、映画の終盤でハッキリする。

で、この映画は「インナー・チャイルド」を克服しようとする青年の話なんだなと、思った。
「インナー・チャイルド」は、親に愛されなかった子供に多く見られる心の病で、大人になっても心の中で幼い自分が怯えて泣いているという、一種のトラウマらしい。
まずスティーブンは、裁判の時に真実を証言しなかった母親を突き放すことができた。
そこから、子供の頃の自分と折り合いをつけ、「インナー・チャイルド」の克服へと前進したように思う。

そして書くことによって、客観的に自分をみつめていく。
スティーブンはレオポルドに書き続けて欲しいと願う。
少年の頃の自分が書くことで、ひとつひとつ大人の自分が理解してあげる作業を15年間続けてきたのだろうと、勝手に推測。
自分の心と向き合うことは簡単ではないし、ましてや辛い過去を受け止める作業は困難なことだ。

そういう観点で観ていくと、ラストはスティーブンの「インナー・チャイルド」を克服したシーンとなって映る。
乗り越えたことの達成感と安堵感に満ちたラストは、スティーブンの新たなる人生の始まりを暗示するものなのでしょう。

まぁ、考えてみたら、レオポルドの母親の早とちりというか、勝手な思い込みしちゃう性格で自らグダグダな人生にしちゃったわけですが、レオポルドは夫の子供だとわかっていたら状況は違っていたのかしらね?
それにしても、あんなペンキ屋とよく18年間も付き合っていられたなと。

久しぶりにメアリー・スチュアート・マスタースンを見ましたが、セリフの言い回しなんかは昔と変らずでしたね。
サム・シェパードデニス・ホッパーも脇役ながら存在感はたっぷり♪

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2006年11月25日 映画ま〜わ行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:1

カッコーの巣の上で

1975年アメリカ
監督:ミロス・フォアマン
出演:ジャック・ニコルソン、ルィース・フレッチャー、クリストファー・ロイド、ダニー・デビード

(´▽`)つ★★★★★

<ストーリー>
1963年、マクマーフは刑務所の強制労働を逃れるため精神疾患を装い、オレゴン州立の精神病院へ送致された。
病院は婦長の専制の下、予定通りの日課をこなす運営がされていた。
他の患者が生気がなく無気力になっている中、自分なりの自由な行動を起こしていく。
そしてある日、マクマーフは病院を脱走する計画を練り出した。


言わずと知れた超名作なので、そんなに語る必要もないかもしれませんね。
若き日のジャック・ニコルソンも眼光に力があって、物凄い貫禄があったんだなぁ〜と、それ自体に感動しちゃいます。

この映画はずいぶん前に1度観たんですけど、最近になって再度観ました。
すると、最初に観た時の重苦しい印象とは違って、まったく反対の開放感を感じたことに驚きました。
初めて観た時は、ラストのあたりでショックを受けちゃって、それが気持ちを重くしていたんですけど、今回はマクマーフの存在の位置付けを踏まえた上で観てみました。

この映画は、規律や制限が厳しいといかに人間の尊厳を奪うものか・・・というテーマだと思うんですよ。
映画の舞台は病院ですけど、規律や秩序、自由を制限されている所は案外身近にある。
その中にいてコントロールされ続けていれば、人間は考えることを止めてしまうもの。
思考を止めた人は、他人の言うことに従っていれば楽になるんです。
これはまさに「カッコーの巣の中」ですね。
cuckoos4.jpgそういうことで、マクマーフは入院している患者たちを人間らしく覚醒させていく役割で、やり過ぎとも思える無謀な行動でみんなの心に眠っている人間性を揺さぶるんですね。
そうすると、管理する側はたまったもんじゃない。
ここで婦長は長期戦を覚悟でマクマーフに宣戦布告するんですよ・・・でなきゃ、簡単に病院を追い出して刑務所に戻せばいい話。
アンケートか何かの「映画の中の悪人ランク」で上位にくるだけのことはあります、婦長さん。
(;´∀`)
この病院では、管理が中心で「治療」はしてないも同然。
管理するのに楽なのは、言いなりにさせることです。
決して病院は患者の言うことには耳を貸しません。
ここが一番恐ろしいところです。

で、この映画の中で一番重要な人物が、身体が大きいインディアンのチーフ。
彼もまた、マクマーフと同じで”フリ”をして入院していたんですね。
たぶん、世の中から逃げるかのように心を閉ざし、人との関係を拒んでいたのだと思う。
それをマクマーフによって、人と触れ合う楽しさや喜びを教えてもらった。
バスケのシーンで、チーフの笑顔が素敵だったのが印象的。
チーフはマクマーフに救われたんですよ。

cuckoos.jpgカッコーは自分の親でもない鳥から育てられ、そして巣立つ。
チーフはカッコーの巣の中でマクマーフに育てられた。
そして、もう羽ばたく時がきたと背中を押されたんですね。
そう思ったらラストはより一層感動したし、「ショーシャンクの空に」に匹敵するほどの開放感に満ちたラストシーンだと感じました。
こういう余韻の残る映画はやはり( ・∀・)イイ!
他の患者たちが奇声を上げて大喜びしているのも、マクマーフによって自由の素晴らしさを体験したからでしょうね。

しかし、開放感を感じた私も、どこか規制とか押し付けられた生活をしている証拠なのかな・・・?

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2006年11月22日 映画あ〜さ行 1970年代以前 トラックバック:0 コメント:0

ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー

1984年イギリス
監督:マイク・ニューエル
出演:ミリンダ・リチャードソン、ルパート・エヴェレット

(´▽`)つ★★★☆☆

<ストーリー>
1954年、ロンドン。
「リトル・クラブ」のマネージャーをしていた離婚歴のある一児の母ルース・エリスは、デビッドに出会う。
お金持ちの息子デビッドは好きなレースに打ち込んでいたが、次第にルースの家に浸り始める。
デビッドは酒を飲んで暴れたり、ルースに暴力を振るったりするが、ルースは別れられずにいた。
そして2人は泥沼の関係になっていき、悲劇が起きてしまう。


「イギリス最後の女性の絞首刑者」となってしまったルース・エリスの実話に基づいた作品。
もう、とことんドロドロです。

「だめんずウォーカー」の極致とも言えるルース。
金持ちの息子でカッコいいデビッドに惚れてしまったルースは、勝手に家に出入りされようが、殴られようが、店をクビになろうがデビッドと別れられないでいた。
そんなルースに私は共感はできないし、私なら即行別れるな。
だって子供が可哀想だ。

1622.jpgこの身勝手なデビッドをルパート・エヴェレットが演じていた。
実は、映画の内容よりもルパート見たさに観た映画・・・と言っても過言じゃなかったので、映画を観て落ち込んだorz
ルース役のミリンダ・リチャードソンは「英国のマリリン・モンロー」と呼ばれるだけあって、色っぽくてキレイ。

まぁ、単に男女関係のもつれで・・・って話にはなるけれど、ルースがデビッドにのめり込んでいき、恐ろしいまでに執着していく姿は怖いけれど哀しい。
ところが、ルースにはデズモンドという男もいた。
この男がまたデビッドとは反対のキャラ。
ルースを愛しているんだけれど、愛しているからルースがデビッドにのめり込んでることに何も言えないって男。
しっかりしろよ!と言いたくもなる。

この愛憎劇は、ルースの狂気的行動によって終る。
惚れると人間はここまでやっちゃうのか・・・普通考えたら、デビッドって最低な奴なんだけれどね。
で、映画のタイトルにある「ダンス」なんですけど、「絞首刑」のあの状態をイギリスでは昔”ダンス”と形容していたと何かで読んだことがあります。
タイトルをそれに引っ掛けたかどうかはわかりませんが・・・。

この映画を監督したマイク・ニューエル、新しいところでは「ハリー・ポッター 炎のゴブレット」を監督してますね。
ミリンダ・リチャードソンも同作品に、ハリーを困らせる記者の役で出てます。


※ルース・エリスの事件に関して詳しく知りたい方は>>こちらから(別サイトへ飛びます)

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2006年11月21日 映画た〜は行 1980年代 トラックバック:0 コメント:0

白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々

2005年ドイツ
監督:マルク・ローテムント
出演:ユリア・イェンチ、ファビアン・ヒンタクリフ

(´▽`)つ★★★★★

<ストーリー>
1943年、ミュンヘン。
ヒトラー批判を呼びかける組織「白バラ」のメンバー、ゾフィーと兄ハンスは、大学の構内でビラを撒いているところを見つかり、ゲシュタポ将校に連行される。
ゾフィーは尋問官モーアの取り調べを受けるが、無罪を主張。
モーアはそれを信じ釈放手続まで進むが、証拠が見つかり、ゾフィーは自分の信念で行動したと認める。
他の組織メンバーの情報は頑なに拒み続け、裁判を迎えた。
裁判では、その場で死刑の判決が言い渡され、同日死刑執行が行われた。


ゾフィーがゲシュタポに連行され、死刑執行を受けるまでわずか5日間。
その間ゾフィーを焦点に当て、詳細に描いた作品です。

映画は、新たに発見された尋問官モーアの記録を元に、ゾフィーとのやりとりを中心となっていて、ほとんどの場面はモーアとゾフィーとのやり取り。
最初、ゾフィーは「ノンポリ(政治無関心者)」と言い続ける。
モーアは巧みに尋問する。
ゾフィーは平静を装い、モーアはそれを崩そうとする心理戦でもある。

この映画では、「白バラ」という組織について詳しく描いていないし、ゾフィーがメンバーになった背景も尋問中に言った内容でしかわからない。
ビラを撒いた時、どれほどのリスクを覚悟しながら行動したかも不明だけれど、そういう説明をあえてせず、ただ記録として残っていた処刑までの5日間を丁寧に描いたところが良かった。

私がこの映画で印象に残っているのは、ゾフィーの視線。
モーアへの視線、空を見る視線、建物を見回す視線・・・それが真っ直ぐなのだ。
ゾフィーが物事に対して、真っ直ぐであるという人柄を表しているでしょうね。
特に、モーアに対しては目を逸らすこともしない。
その真っ直ぐな視線に、モーアの気持ちが少しずつ動かされていくのがわかる。
それは同情ではなく、共感なのだろうと・・・。
正しいとか、間違っているとかという二極的な考えを超えた、「信念」こそがこの映画のテーマだと思った。

ゾフィーらが連行された1943年は、ドイツ軍にとって最も重要な時期だった。
1942年、ソ連の石油供給を絶ち、東部戦線に事実上終止符を打つ作戦が行われた。
しかし、同年9月にスターリングラードに突入したドイツ軍の戦いは泥沼。
そして、コーカサスに対する進撃も進まずに停滞。
同年11月、ソ連の全面的反攻と二重包囲網により、スターリングラードにドイツ軍25万人は閉じ込められた。
ソ連での戦いを重要視していたドイツ軍にとって、撤退を余儀なくされたことは敗北に近かったのでは?と思う。
それゆえに、軍の士気低下はなんとしても避けなければならない時期だったろうと推測する。

050920_scholl03_g.jpgゾフィーが受けた裁判で、裁判長がヒステリックなまでに喚く姿は、まさしくドイツ軍の苦戦を象徴しているのではないでしょうか。
充分な審議もせずに、即日判決に加えて、異例とも思われる裁判当日での処刑。
これは、反ヒトラー運動が及ぼす影響を恐れている証拠で、そういう雰囲気が広がりつつあったことを意味しているのでは?と思う。
かなり焦っていたんでしょうね。
恐怖政治のモロさですね。

そういう時代の中にあって、ゾフィーのような若い女性も信念を持ち、貫き通した姿に私たちは感銘を受けるのです。
参考までに、「ハンナ・セレシュ」も同胞のために最期までドイツ軍に抵抗し続けた女性として有名です。
映画にもなりましたね。
ゾフィーはドイツ人で、ハンナはユダヤ系のハンガリー人です。
この2人は置かれている立場は違っていても、共通した意志を持っていたということに歴史の運命の皮肉さを感じます。

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2006年11月21日 映画あ〜さ行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

CUBE ZERO

2004年カナダ
監督:アーニー・バーバラッシュ
出演:ザクリー・ベネット、デヴィッド・ヒューバンド、ステファニー・ムーア

(´▽`)つ★☆☆☆☆

<ストーリー>
殺人トラップが仕掛けられた立方体の管理と被験者の観察業務を行うウィンは、被験者の女性レインズに興味を持つ。


※ネタバレ含む記事です。


この作品で「CUBE」の謎が明かされる。
・・・・と言っても、納得できない部分は多々あり。
被験者を連れてくる際、軍人らしき人物らがその作業をやるんだけれど、どうも目が金色になるし運動能力が人間以上なので、まるでサイボーグみたいなんですよね。
サイボーグと言ったらSFチックだわぁ〜。
そして監視室みたいな部屋にあるモニターも、近未来的なのよ。
なぁ〜んだ、「CUBE」ってSFなんじゃん・・・と、「CUBE」より先にこっちを観た私はガッカリ。

ところがですよ、監視しているオッサンがSFっぽくない(;´∀`)
駐車場の料金所に座ってるオジサンみたいだし、電話が超アナログ!?
本当に非常の時にしか使えないように、なんと鎖と南京錠みたいなのでガードまでしている・・・レトロです。

この「ZERO」は、立方体の部屋の中のことはサクッと見せるだけで、1作目とは違って全然緊迫感はありません。
ただグロい映像で恐さは煽ってますが・・・・というより気持ち悪いだけ。
あとは監視室の中のことがメインっぽかった。
ここで、立方体の部屋はまるっとお見通しだったことが明らかになる。

それから、被験者は生きて外に出られないってことも・・・・。
「CUBE」では余韻残してエンディングを迎え、生きて外に出られるもんだと思っていた人はショックな事実ではないでしょうかねぇ?
しかも、監視室のオッサンがマニュアルを見ながら操作する機械でやられちゃう。
「お前は神を信じるか?」なんて質問して。
これまたSFとは程遠い形です。

で、最大のツッコミ場所が、監視室に現れるお偉いさん。
仮面ライダーにでも出てきそうな、悪役面でございます(((;-д- )=3ハァ
そのお偉いさんが連れてきた手下みたいな奴らは、「マトリックス」に出てきそうな方々で、透明な(?)キーボードでも叩くようにコンピューターを操作致します。
でもこのコンピューターは、オッサンが切ったたった1本のコードであぽ〜んします。
ここまで来ると、凄いのか何なのかわからなくなります。

ラスト近く、レインズはウィンの協力で外に脱出する。
けれど、またあのサイボーグみたいな軍人に追われる。
人間とは到底思えない凄いジャンプ力でひとっ飛び!・・・と思わせておきながら、レインズに股間蹴られて悶絶・・・。
よくわかりません・・・ギャグなのかと思ってしまいますよ。

もうね、「CUBE」の世界観ぶち壊しもいいところ。
こりゃ別物くらいな気持ちで受け止めた方がよさそう。

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2006年11月20日 映画あ〜さ行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

CUBE

1997年カナダ
監督:ヴィンチェンソ・ナタリ
出演:モーリス・ディーン・ホワイト、二コール・テ・ボアー、ニッキー・ガターニ、他

(´▽`)つ★★★☆☆

<ストーリー>
立方体の部屋に理由もわからず閉じ込められた、警察官のクエンティン、女医のハロウェイ、女子学生のレヴン、外壁だけを設計したというワース、刑務所脱獄犯レン、精神の障害を持つカザン。
部屋の集合体のために、部屋から部屋へ移動して行くことになるが、トラップ(罠)が仕掛けられた部屋があり、その部屋を避けていかなければならない。
果たして、そこから脱出できるのか・・・?


※ネタバレを含む記事です。

この作品を観る前に「CUBE ZERO」を観てしまったので、感想が他の人と違ってきているかもしれません。
ちなみに「CUBE IQ」という邦題のまったく違う映画のDVDに引っかかったりして、ずっとレンタル中だった「CUBE」に辿り着くまで大変だったorz
で、ようやく借りて観ることができた次第です。

まず、この映画の魅力は謎だらけ・・・ということでしょう。
映画の冒頭はショッキングなシーンで始まり、まず恐怖を植え付けてます。
あのシーンはトラップがあることを説明しているのでしょう。
そして、連れてこられた時の記憶がない人物が次々に現れる。
職種などもバラバラで繋がりがない。
・・・この辺は「CUBE ZERO」を観てしまったばかりに、一緒に謎に満ちた世界に入りきれなかったのが悔やまれる。

しかし、この作品にはショッキングなシーンがほとんどない。
ひたすらトラップの部屋に引っかからないように動く。
極限の精神状態と密室という状況の中で、それぞれの人間性が出始めてくる。
短絡的な言い方をすれば、良い面と悪い面の両方が如実に出てくるのだ。
だから、これは心理サスペンスものかもしれない。

昨今あまりにもショッキングな映画が多いため、案外こういう単純そうな映画は新鮮に映る。
人間の恐怖は複雑さから生まれるんじゃなく、逃れられないのでは?という切迫感からしか生まれないのだと再認識できた映画かも。

そして、この映画の中で一番ヒヤヒヤしたシーンは、声に反応する部屋を通る時に声を出さずに通過するところ。
こういうのが一番手に汗握って、ドキドキハラハラするのよ!
自分まで息を殺して見入ってるのがわかった。

部屋によって色が違ってましたね。
あれには何か意味があるのだろうか・・・?と考えてみました。
あくまでも憶測ですけど、色で人間の心理や身体に影響を与えているという意味かも。
赤い部屋に入っていた時、赤の効果なのか全員が汗だくになっていました。
心理的にも赤は時間経過が長く感じるし、威圧感や興奮の作用もありますからね。
映画を観ている私たちも、色による印象を受けていると思うし・・・。
それと、部屋の模様が蜘蛛の巣みたいだなぁ〜と思ったんですよ。
まるで、蜘蛛の巣に囚われたように見え、逃れられないことを暗示しているようですね。

監督は観る者にも視覚によるトラップをかけていたとするなら、やはりこの映画は凄いはずですわ。

んん〜、続編はやはり作るべきじゃなかったですねー。
監督は違いますけど、「ZERO」を見る限り、この1作目の世界をぶち壊したことは間違いありませんよ・・・。

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2006年11月20日 映画あ〜さ行 1990年代 トラックバック:0 コメント:0

アナザー・カントリー

1984年イギリス
監督:マクレ・カニエフスカ
出演:ルパート・へヴェレット、コリン・ファース、ケアリー・エルウィズ

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
1983年モスクワ。
アメリカ人ジャーナリストは、年老いたガイ・ベネットに祖国イギリスを裏切るスパイとなり、ロシアに亡命したことについてインタビューする。
ガイは遠く過ぎ去った若き日を回想していく・・・、
1932年、ガイはパブリック・スクールの最終学年を迎えようとしていた。
新しい学年が始まると、生徒達の自治会メンバー「ゴッド」に選ばれることになっていたガイ。
そのエリート・メンバーになり、将来は外交官からパリ駐在の大使になるエリートコースを進むはずになっている。
ガイには、レーニンに傾倒している共産主義者のジャドという親友がいた。
ある日、ゲイであることをあからさまにしていたガイは、別寮のハーコートに一目惚れする。
そんな2人を異端者として見ていた軍国主義者のファウラーは、ガイを「ゴッド」のメンバーになれないように策略する。


1963年に亡くなった実在の人物をモデルにしたストーリーで、イギリスの舞台で演じられた作品の映画化。
舞台での主人公もルパート・エヴェレットが演じ、ジャドはケネス・ブラナーが演じていた。
映画と違う点は、ハーコートは登場しない。
一応「ゲイ・シネマ」としてますが、実のところこの映画は同性愛が中心となっている作品ではありません。
ガイはゲイではあるけれど、映画ではプラトニックな恋心を抱いているだけです。
ハーコートに見とれるガイではありますが、エリートに拘る側面が強い。
更に一方で、学校の伝統は軽んじていたりして、自治会のメンバーとなって全体のリーダーシップを取れるのか、甚だ疑問な性格。

イギリスには全寮制の学校が多く、「ハリー・ポッター」もその全寮制なので、その仕組みなんかは知れ渡ってきたけれど、規律を重んじるイギリスのエリート学校での下級生は上級生に対して絶対服従なのですね・・・特に昔は。
そして映画の中だけでなく、同性愛がはびこるという点も。

bscap094.jpgところで、ガイのその後に辿った道を考えると、ジャドという人物がガイに与える影響が大きかった・・・ということだろうか?
ガイはファウラーによってエリートの道を絶たれてしまい、更には屈辱も味わう。
愛するハーコートの名誉を守るために、自分はつま弾きされることを選んだ。
エリートに拘りすぎて、たったひとつの道を閉ざされたガイは、極端から極端に走ってしまったのかな?と想像する。
自分はイギリスという国の体制に受け入れられず、裏切られたと・・・。

案外、この映画は社会派的な要素が多い映画なので、その時代のイギリスの背景を知らないと面を食らうかもしれません。
劇中、軍人への慰霊祭がありますが、第一次世界大戦ではイギリスにとって大変困難だった戦争で、エリート校出身者の多くは指揮官として命を落としていたためだそうです。

ガイのモデルになった人物は、大学在学中に共産主義になり、その後にイギリスの情報を東側に伝えるスパイとなったそうです。
映画の中でも、ガイは「クリケットが恋しい」と呟きますが、紅茶もこよなく愛し、本当はイギリスを愛してやまなかったことがうかがえますね。
ガイのゲイでありながエリート志向であったことと、スパイになりながらイギリスを愛していたことから、相反することも彼にとっては分かつことができない・・・という性格が見えてきます。
EveretFirth2.jpg
まぁ、でも、そうは言っても、ガイが淡い恋心を抱くあたりは可愛かったりします
ハーコートと夜デートして、ボートの中で2人寄り添うシーンなんて素敵なのだわ♪
ケアリー・エルウィズの何て美しいこと(*´∀`*)
だからこそ「SAW」のゴードンを見た時に「うわぁ〜ん。゜(゚´Д`゚)゜。」となったのは、言うまでもございません(;´∀`)
劇中、生徒たちが歌っているのは「ジュピター」
ダイアナ妃の結婚式、そして葬儀の時にも歌われた曲だそうですね。

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2006年11月18日 テーマ別 ゲイシネマ トラックバック:0 コメント:0

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

2005年アメリカ=フランス
監督:トミー・リー・ジョーンズ
出演:トミー・リー・ジョーンズ、バリー・ペッパー、ドワイト・ヨーカム

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
アメリカ、テキサス州の国境に近い地で、メキシコ人カウボーイ:メルキアデス・エストラーダの死体が見つかる。
このメルキアデスと親しかった友人のピートは、メルキアデスが生前「俺が死んだら故郷に埋めて欲しい」と話していた約束を思い出す。
ある日、ピートはメルキアデスを殺害したのは国境警備隊員のマイクだと知り、マイクを強引に家から連れ出し、埋葬されたメルキアデスの遺体を掘り出す。
そして、マイクも同行させ、遺体と共にメキシコのヒメネスを目指す。



カンヌ国際映画祭でも絶賛された、トミー・リー・ジョーンズの初監督作品。
過度な演出がなく、静かで一途な友への愛情だけが突き動かし、黙々と旅を続けていくピートを演じるトミー・リー・ジョーンズが渋い。
日本で八代亜紀の歌を口ずさみながらシミジミ涙を流す姿もオツですけどね(;´∀`)

序盤はパズルのパーツがバラバラになっている感じで、時制通りではないし、そのパーツがまとまっていくまでちょっとわかり辛かった。
パーツが合わさった時から、話はピートとマイクがメキシコを目指す話一本になる。

マイクを演じるバリー・ペッパーは「グリーン・マイル」の処刑シーンで、涙をボロボロ流しながら泣いていた姿が印象的でした。
この作品では最初、冷めた野郎・・・にしか感じられず、越境しようとしたメキシコ人をボコボコ殴るし、奥さんに冷たいし、勤務中に荒野の真ん中でエロ雑誌なんて見てるしで、印象は悪い。
しかし、ピートと旅をしていく内、冷めていた野郎がやたら喚いたり抵抗したりして、ピートに容赦なく殴られるほど人間臭くなっていくのね。

一方ピートは、段々遺体のメルキアデスへの執拗に愛情を示す姿が、ちょっと恐くもあった。
「ブロークバック・マウンテン」とは違うけれど、でも男同士の何とも言い難い友情には通じる感じは受けた。
4798.jpg最初は、ピートが強引にマイクを連れてメキシコに向かうのは、復讐のひとつだと思ったんですよ。
でも、旅を続けていくピートの様子はそんな感じではなかった。
マイクの両腕に手錠をかけ、ブーツを脱がせて裸足にしたくらいで、なぜ一緒に連れていくのか・・・?と思いつつ観ていきました。

それが、ラストに差し掛かるあたりで理由がわかった気がします。
気がついたら、私はマイクを嫌な奴という目では見ていなかった。
ここで、ヤラレタ・・・と思いましたよー。

この映画に登場するのは、大半が中年以上の人々です。
人間、中年以上になると「あ、うん」で感じ合ったりすることがあるのか、言葉に頼らずに察していく場面が多い。
それがこの映画の魅力じゃないかな?と思いますね。

それにラストの余韻はいいですねー。

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2006年11月18日 映画ま〜わ行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

マイライフ・アズ・ア・ドッグ

1985年スウェーデン
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:アントン・グランセリウス、マンフレド・セルナル、トーマス・フォン・ブレムセン

(´▽`)つ★★★★★

<ストーリー>
12才のイングマルは、兄エリクにイジメられても、彼の不器用さに母親がイラ立ち嘆いても、人工衛星に乗せられたライカ犬よりもマシだと自分に言い聞かせていた。
そんなある日、病気の母親の症状が悪化し入院するため、兄は祖母、イングマルは叔父のところで暮らすことになった。
叔父の家は大きなガラス工場のある小さな村にあり、イングマルは置いてきた愛犬のシッカンのことも気がかりながら、そこでの生活が始まる。



「ボクは人工衛星に乗せられたライカ犬よりマシなんだ」
辛いことがあるとイングマルはそう思うことで、自分の辛いことは大したことないと言い聞かせる。
実は私も子供の頃、親に叱られたりすると「マッチ売りの少女よりマシ」と思うようにしてたので、この映画を観た時はドキリとした。
それゆえに、私はイングマルが他人のように感じられず、この映画は思い入れの強い映画になった。

イングマルを演じるアントンはとても気が強そうな子で、でも強がっているだけ・・・っていうイングマルにピッタリな表情。
時折はにかむように笑う顔も可愛い♪
不器用で、いつも兄からからかわれ、お母さんからは叱られるイングマル。
なのに、女の子にはモテる。
なぜかって?
それは、イングマルは抱きしめてあげたいほど優しい子だからなのよ。

いつも、お母さんと楽しく海辺で遊んだ日のことを思い出しては、早くお母さんの笑顔が見たくて、お母さんの喜びそうなことをやるんだけど失敗しちゃう。
優しくてシャイで不器用。
女の子の母性本能くすぐりますわ。

映画は叔父さんの村での日々がメイン。
ゆっくり季節が過ぎてゆく中で、村の人々とのいろんな出来事が、イングマルを包み込むようです。
特に、男の子の恰好をしたサガとの出会いは、イングマルをちょっぴり大人にしていくんですね。
サガもまた、少女から大人になる。

MyLifeasaDog2.jpgでも、村に来てから、楽しいことばかりじゃない。
本当に辛いことも起きてしまう。
その現実から、また逃れるようにイングマルはライカ犬のことを必死に考えたり、耳を塞ぎながら喚いたり・・・。
映画は、辛い現実から目を背けなくなった時、少年から一歩大人になることをイングマルを通して私たちに教えてくれるんです。
ライカ犬自身も、宇宙へ飛ばされる運命を受け止めていたかもしれない・・・と。

ラストは、ラジオからボクシングの試合の実況が流れ、聴いている村人たちは興奮。
スウェーデンのヨハンソンが不敗のチャンピオン:パターソンを破り、世界一になったからだ。
勝利したことに加え、ヨハンソンのそれまでの道のり・・・そしてヨハンソンの名前を知ると、イングマルの将来が輝かしくあれとのメッセージだと悟れます。

村人もみんな良い人たちで、観ているこちらまで和むんですよねぇ〜(*´∀`*)アッタカーイ

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2006年11月17日 映画ま〜わ行 1980年代 トラックバック:0 コメント:0

スナッチ

2000年イギリス
監督:ガイ・リッチー
出演:ブラット・ピット、ベニチオ・デル・トロ、ジェイソン・ステイサム、スティーブ・グレアム

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
ロンドンで非合法ボクシングのプロモーターをやっているターキッシュと相棒のトミー。
ノミ屋で大儲けしている悪党ブリックに接近し、彼のために八百長試合を仕込むことに。
一方、ベルギーで86カラットのダイヤを盗んだ強盗集団のひとり、4本指のフランキーは、NYのアヴィーに届けねばならなかったが、小粒のダイヤを売りさばくためにロンドンに立ち寄り、非合法ボクシングで罠にはまってしまう。
フランキーから連絡がこないことに業を煮やしたアヴィーは、NYからロンドンに向かった。


登場人物が多いですねー(;´∀`)
その上に、場面があちこちスッ飛ぶもんだから、ゴチャゴチャしてきますねー。
ブラピは、今回も「ファイト・クラブ」よろしく、ボカスカ殴り合いますよー。
殴られ方もお上手です。

snatch2.jpgとにかく、この映画はいろんな人種が出てくるわ、人種差別はあるわで、イギリス人が大好きなブラック・ジョーク満載。
ブラット・ピットはパイキー(流れ者)なんだけれど、イギリス人が聞き取れないほど英語が訛っている人物。
あれは、アイルランド訛りっぽく聞こえたんだけど・・・ちょっと違うかな?
イギリス人は地方の訛りに敏感なところがあるというか、サッカーのベッカムの「h」を発音しない訛りに、「ベッカムは喋るな」とまで言うくらいだしね。

ダイヤを巡る大騒動に加え、ダイヤとは関係のないターキッシュとトミーの騒動まで絡んできて、大混乱になる。
ダイヤと非合法ボクシングの騒動がそれぞれ展開していて、それをテンポよく見せていき、中だるみもなく一気に進んでいく。

で、この映画は色気出してる女が出てこない。
とことん、男たちの大騒動である潔さが(・∀・)イイ!!
ジョークも素晴らしい!
登場人物は必死なのに笑える・・・いや、必死だからこそ笑えるとでも言いますか・・・。
人殺しを簡単にやってのける悪党も、アメリカ人から犬を殺せと命令されて「そんな残酷なこと・・・」と言って躊躇したり、イギリス人の弱点をジョークにしちゃう。

監督のガイ・リッチーはマドンナのダンナだそうですね。
有名どころの俳優を思い切り脇役にしていて、彼らのイメージが映画に影響しない程度の役回りをさせる辺りは素晴らしい。
snatch4.jpg
ワンコも良い味出してます( ´∀` )b

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2006年11月16日 映画あ〜さ行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

ダ・ヴィンチ・コード

2006年アメリカ
監督:ロン・ハワード
出演:トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ、イアン・マッケラン、ジャン・レノ

(´▽`)つ★★★☆☆

<ストーリー>
パリのルーブル美術館で館長のソニエールが殺害された。
遺体の周りの不可解な暗号について警察から協力を求められたハーバード大学のランドン教授だったが、暗号解読官のソフィーからランドン自身が容疑者として疑われていると聞かされる。
ランドンはソフィーの協力を得ながら警察から逃げ、謎の暗号を解いていく。


私は原作本を読んだ場合、映画を観るまでは時間を相当置くようにしているんですけど、今回は1年ほど間をあけて観てみました。
どうしても小説に比べれば心理的描写はアッサリしてしまうし、長いストーリーを映画にすると省いてしまう場面や登場人物も生じてしまう。
それを踏まえながら作品を観たのだけれど、映画だからこそできる描写は良かったと思う。
何と言っても、映像で美術館の中や美術品を見られるし、歴史的建物も堪能できる・・・というところですね。

私はランドンがトム・ハンクスでも違和感はなかったですね(小説を読んでいた時は、ハリソン・フォードなイメージがあったが・・・)
ただトム・ハンクスが演じるなら、腕時計について省かないで欲しかったな。
それがランドンの個性の一部なんだし、トム・ハンクスのキャラにも合ってた気がする。

davincicode6.jpgまぁ、この映画をノーカットで観れる数少ない国のひとつ日本であることは、幸いかもしれませんねー。
でも、あの結末は原作を読んだ時も思ったんですけど、批判されても仕方ない・・・映画祭で失笑喰らったのは、そこでしょうね、きっと。

映画は駆け足過ぎる展開で、暗号解きもアッサリだったのは残念。
途中、字幕を必死に読まなければならない場面があって、こればかりは本を読んでいないと分かり辛かった人もいるんじゃないかな?
歴史的なことについては、映像で描いて説明してくれたので良かった部分もあるけれど、馴染みのない名称が沢山出てくるから、もし本を読んでいなかったら混乱していたかも・・・。
davincicode5.jpg

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2006年11月15日 映画た〜は行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

スチュアート・リトル

2000年アメリカ
監督:ロブ・ミンコフ
出演:ジーナ・ディビス、ヒュー・ローリー、ジョナサン・リプニッキ

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
NYのセントラルパーク近くに住むリトル家。
パパとママと息子のジョージの3人家族。
「弟が欲しい」というジョージの希望もあって、養子縁組をすることにしたパパとママは施設に行き、人間の子供ではなくネズミのスチュアートをリトル家の一員として迎えることにした。
しかし、ジョージは人間ではない弟にガッカリし、飼い猫のスノーベルは飼い主がネズミで気に入らなかった。


脚本は「シックス・センス」の監督M・ナイト・シャラマン。
ネズミのスチュアートがとても可愛く、家族で楽しめるハートフル・ドラマ。

もうアニメという域ではなく、CGを駆使して細かい毛並みまで再現し、顔の表情も豊かになったことで、人間との共演でもさして違和感も感じられなくなった技術に驚いた。
スチュアートもあまりリアルになり過ぎず、からと言ってデフォルメされ過ぎずで、可愛さをギリギリ感じるキャラクターだったと思う。

これは子供向けの映画なので、練り込ませすぎないストーリーであるのは仕方ない。
わかりやすさが一番。
ここで大人が理屈をこねて、難癖つけるのは頂けない。
映画通を気取ると、子供向けの映画ですら大人の視点で語ってしまう落とし穴にハマってしまうので、気をつけたいと思う。
子供が口を開けてリトル家の物語に食い入って観れるかどうか?が肝心なんだから。

StuartLittle2.jpg両側から大きなビルで挟まれている小さな家のリトル家。
この肩身の狭そうな家が(・∀・)イイ!!
そして、リトルなのにデカいジーナ・ディビスはご愛嬌だとしても、優しいママにピッタリだった。
施設で取り残されてきたスチュアートは、物事に対して冷めて見るようなネズミで、変に大人ぶっていた心にそっと触れるママ。
ジョージに気に入られなくても、そのショックを隠そうとするスチュアート。
いや、子供向けと言いながらも、そういう描き方は子供騙しで適当ではないから良いのです。
実際、そうやって強がっている子供はいるんだし・・・。

だからこそ、ジョージと初めて遊べた時に「距離が縮んだ気がする」とスチュアートがポツリ言うところでグッとくる。
今までスチュアートがどれだけ寂しかったのか、ここで大いに感じるのです。

さて、ネズミのキャラクターと言えばミッキー・マウスやジェリーやトッポジージョが有名どころ。
それらに肩を並べることはちょっと無理なスチュアートではありますが、でもやっぱり可愛い
(*´∀`*)
stuart-little-10.jpg

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2006年11月14日 映画あ〜さ行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

ナイロビの蜂

2005年イギリス
監督:フェルナンド・メイレス
出演:レイフ・ファインズ、レイチェル・ワイズ

(´▽`)つ★★★☆☆

<ストーリー>
英国外務省一等書記官ジャスティンの妻テッサは、黒人医師アーノルドと共にスラムの医療施設を改善する救援活動をしていた。
ある日、アーノルドと一緒にナイロビからロキへ旅立ったテッサは、トゥルナカ湖の端で殺害され、アーノルドは行方不明となる事件が起きた。
警察はよくある事件のひとつだと、捜査に乗り出さない。
しかし、妻の死に疑念を抱いたジャスティン自ら調べていく内、世界的な陰謀と対峙することになる。


地方だと上映する映画が少ないため、この映画の宣伝を見ることがなかった。
・・・なので、今回も予備知識なしで観た。

この映画はすこぶる評判が良いようだし泣けた人も多いようだけれど、私は心が寒いのか、先進国の責任というものを痛感したくらいで、感傷的にはならなかったわ・・・。
それに、この作品にロマンチックさはいらなかった気がする・・・というか、ジャスティンとテッサの出会いから即行濃厚ラブシーンに到る時点で、「なぁ〜んだ、そういう映画かぁ〜」と観るのをやめようと思ったくらいです。
テッサが講演会で、ジャスティンにイラク戦争のことで食ってかかる。
ここでテッサの主義とか思想がわかってくるという寸法。
一方のジャスティンは、言い返せないで立ち尽くすのみの、気の優しい男だ。
ケニアに赴任した後、テッサは大きなお腹であろうとも、貧困に苦しむ人々のために動き回るほどだし、この辺はロマンチックさは皆無になる。
それに、テッサを演じるレイチェルは、どうしても「ハムナプトラ」の印象があるので、時折そのイメージが被ってしまった。

さて、途中からサスペンスの要素が増えてくるんだけど、この辺はちょっと観ていてダレ気味になりました。
でも、ドキュメント・タッチでアフリカの人々の生活シーンを挟んで見せる手法は斬新。
そして広大な風景の見せ方や、カメラを回したり、地面すれすれのカメラ位置っていう撮影方法も変っていて目を見張った。
ストーリー的にも、国際的な問題提議というのも漂わせていて、いろんな要素がギュウギュウ詰め込まれた映画だと思った。

constant-gardener-4.jpg欲出していろんな要素を入れちゃうと、中途半端になって尻すぼみになりやすいんだけど、最後は上手くまとめて終らせてましたね。
でも、やや強引な感じは否めず(;´∀`)
いろいろな要素をキッチリ取り込み描いていたことは評価しますが、日本人的な言い方をすれば、お鍋の具は全部魚介類じゃダメなのよ・・・って感じです。
白菜やネギやシイタケが入ってこそ、バランスが取れて風味も良くなる。

ところで、この映画のスタッフや出演者たちでNGOを立ち上げ、ケニアで活動しているそうです。
レイチェルが子供たちと触れ合ってるシーンは、あれは映画用の演技とか演出ではなく、実際のNGO活動中を撮影したものを映画で使ったらしいですね。
逆に、そっちのドキュメントに興味があるなぁ〜。

湖の上を群れで飛んでいる白い鳥の映像と音楽が良かった分の星を追加して3つ。厳しい?

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2006年11月14日 映画た〜は行 2000年以降 トラックバック:1 コメント:0

父、帰る

2003年ロシア
監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
出演:ラウジー・ミル・ガーリン、イワン・ドブロヌラヴォフ、コンスタンチン・ラブロネンコ

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
12年も家を離れていた父親が突然帰ってきた。
母親とつつましく暮らしてきた兄弟は、写真でしか父親の顔を見たことがなく戸惑う。
いきなり目の前に現れた父親は偉そうに振舞い、今まで放って置かれていたはずの母親は何故か素直に従う。
それを見て、兄弟は父親への反発心が芽生える。
そんな中、母親の提案で兄弟は父親とキャンプに行くことになった。


12年も音沙汰なしだった父親が突然帰ってくれば、そりゃ子供は驚きます。
定期的に帰ってくる父親ではなく、今まで見捨てられてたようなものだから、子供にすればどこかのオッサンが勝手に家に入ってきた・・・みたいなものでしょう。
でも一応身内だから、余計悪い。
血の繋がりは、得てして憎しみは倍増する関係でもあるし。

さて、私はこの父親の視点で映画を語ってみたいと思います。
父親の帰ってきた理由は明かされてません。
ただ言えることは、少なくとも父親としての自覚は極少だっただろうと・・・。
家に帰ってきた時は、自分の子供でありながら、他人のような感覚でしか子供を見ることができなかったのではないかと思う。

まず、父親っていうのは母親と違って、自分自身の自覚によって親になるんだと思うんですよ。
母親は出産によって必然的に親になるけれど、男は身体的変化も苦痛も経験しないので自覚に頼るしかない。
しかも、この父親は子供の成長の過程も知らないんですから、父親とは名ばかりな存在なんです。

vozvrashcheniye04.jpgそれを察したから、妻が子供とキャンプに行くことを提案したのかもしれません。
映画は父親の主観を滲ませる描き方はしてないし、子供の視点で観ると父親の謎ばかりが深まっていきます。
でも、父親の視点で観ていくと、カメラが映す子供は父親の視線のように思えてくる。
そして、美しいけれどヒンヤリした風景は親子の関係を象徴しているかのようだと、勝手に想像。

弟のイワンが父親にとことん反発する。
でも父親は多くを語らず突き放す。
その突き放し方が物語が進むにつれ、微妙に違ってきたように思う。
最初は単にウザイっていう感じで突き放してたのに、徐々に心を鬼にして突き放してる感じが漂い始めた。
この父親にとって、イワンは父親としての試練なのでしょう。
こういうことを考えると、これは「父親になるための旅」っていう風に映ってきたのです。

イワンが心を閉じているというより、父親自体が心を閉じていた。
でも、そんな父親もようやく父性が芽生えてきたっていうのが何気なく出てくるんですね。
武骨な男だからスンナリいかないんだけれど・・・。
命令口調の父親・・・それは旧ソ連時代を表現しているんでしょうか・・・その時代を知らない息子たち。
対して、旧ソ連時代では考えられなかった自由な旅。

regresso-03.jpg

果たして、この父親は少しでも父親になれるのかな?という私の疑問の答えは、ラストに用意されていました。

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2006年11月13日 映画た〜は行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

バイス・バーサ ボクとパパの大逆転

1988年アメリカ
監督:ブライアン・ギルバート
出演:ジャッジ・ラインホルド、フレッド・カヴェージ

(´▽`)つ★★★☆☆

<ストーリー>
シカゴの高級デパートの副社長マーシャル・シーモアは異常なほど几帳面でクソ真面目。
家庭を顧みず、妻とは離婚をしていた。
11才になる息子チャーリーは妻が引き取っていたが、息子を預かることになった。
性格や趣味の違いで息子とは険悪なムードに。
そんなある日、ガイコツの置物が家に届いた。
それをイジっているうちに、マーシャルとチャーリーが入れ替わってしまう。


約20年前は入れ替わりというか、子供が大人に、大人が子供に・・・という映画が多く作られてた気がします。
この作品と同じで父親と息子が入れ替わる「ハモンド家の秘密」もあるけど、こちらは息子が高校生ということで、子供と大人の極端さが欠けていてイマイチ。
それと、トム・ハンクスの「ビッグ」は有名ですね。
逆に若返っちゃうっていうのもありました。
「ペギースーの結婚」「ヤング・アゲン」は中年が高校生くらいの年頃に戻っちゃう。

さて、主人公のマーシャル役のジャッジ・ラインホルドは「ビバリーヒルズ・コップ」で、エディー・マーフィー演じるアクセルに傾倒しちゃう刑事の役で出ていましたね。
まぁ、彼が副社長で仕事人間っていうキャラとしては無理があるかなぁ〜っていう点はありますが、肝心の子供と入れ替わった後は違和感がなかった。

大人の身体になったチャーリーが好奇心いっぱいになって、目がキラキラしちゃってる風を表現できてたし。
ストーリーは平凡だけれど、すんなり楽しめる作品でした。
こういう体験を経て、父親と息子の距離が縮まりますよーっていうのはお約束。

今風に言えば、 「普通に面白い」 ってことですかね?

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2006年11月12日 映画た〜は行 1980年代 トラックバック:0 コメント:0

オリヴィエ・オリヴィエ

1992年フランス
監督:アニエスカ・ホランド
出演:フランソワ・グリューゼ、グレゴワール・ゴラン、ブリジット・ルアン

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
南フランスに住むエリザベトは、息子オリヴィエを溺愛していた。
ある日、昼食を祖母に届けるため出かけたまま、オリヴィエは行方不明となってしまう。
それから6年経った頃、警察はパリで男娼として働く少年がオリヴィエではないかと、エリザベトの家へ連れていく。
アフリカへ赴任していた夫も帰国し、姉ナディーヌも含めた4人の生活が再び始まるのだが・・・。


息子のオリヴィエを異常なくらい溺愛する母と、それを呆れる父。
一方でまったくと言っていいほど母親から愛情を注がれていない姉。
そんな際どいバランスの家族の中でオリヴィエは行方不明になる。
母親のエリザベトの悲しみは凄まじく、悲しみを共感する以前にその凄まじさに圧倒される。

だからこそ、オリヴィエが戻ってきたたことが全てであり、オリヴィエの失踪した原因とか、それまでどうしてたのかということなど、エリザベトにとったらどうでもいいことなのだ。
しかし、この映画は「この少年は本当にオリヴィエなのか?」という疑問を投げかけてくる。

どこか信じることができない姉ナディーヌと、無条件に信じる母エリザベト。
映画を観ている私たちは、どちらかと言えばナディーヌの視線でオリヴィエを見ていく格好だ。
しかし、オリヴィエは本人しか知り得ないことをサラリと言ったりする。
本当にオリヴィエなのかなぁ〜・・・?と、それすらも信用できない自分がいたりする。
olivier.jpg
この映画を観ていた時は、ほとんど「オリヴィエは本物?偽物?どっち?」という答えが出ることを待ってた感じで、ちょっと私自身焦りながら観てたかもしれない。
でも終盤になっていき、エリザベトを見ていたら、本物じゃなくてもいいのかな?って思えてきたから不思議。
「信じる者は救われる」じゃないけれど、エリザベトにとって目の前にいるのは愛する息子であって、それ以上でも以下でもない。

しかし、オリヴィエとナディーヌが関係を持っちゃう。
オリヴィエが本物なら・・・おいおいそれって・・・な関係ですよ〜〜。
とにかく、この作品は観る者を振り回す。
そう、私たちもオリヴィエが仕込む心理戦にまんまと巻き込まれてしまう。

男娼していた「オリヴィエ」と名乗る少年は、裏の道を歩いてきたと言える。
人を手玉にする術も心得ているだろう。
だからこそ、信じられない・・・という先入観は離れない。
同性愛と近親相姦という背景を巧みに使い、人間の心理をサスペンス仕立てで迫っていくこの映画は、かなり凄い。

また観たいなぁー・・・DVD化しないかなぁ〜・・・。

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2006年11月11日 映画あ〜さ行 1990年代 トラックバック:0 コメント:0

ヴィレッジ

2004年アメリカ
監督:M・ナイト・シャマラン
出演:ホアキン・フェニックス、ブライス・ダラス・ハワード、エイドリアン・ブロディ、シガニー・ウィーバー、ウィリアム・ハート

(´▽`)つ★★★☆☆

<ストーリー>
深い森に囲まれた静かな村。
村人たちは家族のような絆で平和に暮らしていたが、この村には3つの掟があった。
森に入ってはいけない。
不吉な赤い色は封印しなければならない。
警告の鐘に注意する。
村人は森に棲む未知の生き物を恐れ、その掟を守っていた。


※ネタバレありの記事です


この映画は予備知識を持たずに観ました。
まぁ、だいたいの人はオチを期待して観たのでしょうが、私は「サイン」でズッコケたこともあり、オチは期待してなかったんですけどね。。
まぁ、一応今回は「サイン」でやっちゃった失敗を踏まえてか、恐怖の正体はのっけからズバリ明かさないというお約束は守ってましたね。(゜▽゜)

恐ろしい何かの正体は知らないまま終盤になり、ある日トラブルから若者が負傷します。
村には薬がなく、森の外の町で薬を買うため、盲目の女性が森を抜ける許可を得ます。
なぜ森を抜ける許可が下りたのか・・・彼女は盲目だからです。
事実を目撃することはできません。
映画を観ている私たちだけが、森の外を知り、ズッコケます ⊂(´∀`⊂⌒`つ≡≡ツルッ♪
覚悟はしていましたけど、「おいおい、勘弁してちょうだいな〜」
でも、実際に森の中にこれ見よがしの化け物がいても、シラケるだけですが・・・。
village3.jpg
さて、ラストで見事なオチを観せてくれたこの映画。
オチばかり気にしていると、この映画の凄いところを見逃してしまいますよ。
この映画には強烈なテーマが隠されていた。
それは、「恐怖は人をコントロールできる」ということです。
多くの人間を思い通りにするには「恐怖を植え付けること」が重要なんです。
かの国の独裁体制も、遠からず同じ手法で体制を維持しているわけですが・・・。

で、村は平和を維持するために2つの恐怖が存在している。
ひとつは、村人たちが森に潜む何かに怯える恐怖と、その架空の恐怖を作り出した村のトップたちが過去に経験した犯罪への恐怖。
だから平和そうに見えてどこか翳りのある村・・・その雰囲気はよく表われていました。
アメリカの開拓時代っぽい雰囲気もマッチしてたと思う。
village4.jpg
ところで、この映画はなかなかの豪華キャストで、しかも思い切った配役。
シガニー・ウィーバーやウィリアム・ハートを脇役に据え、エイドリアン・ブロディにはちょっとオツムの弱い役をさせ、経験の浅いブライスを主役にしている。
ブライスは映画出演の経験がないとは思えないほど、かなりの好演。
盲目の女性という難しい役をこなし切ったと思います。
出たがりのシャラマンもチラっと出てましたね。
「サイン」では重要な役柄を自ら演じ、余りのイモ演技すぎて重要な人物を自分で潰してしまうミスを犯してましたが・・・。

今後のシャラマンには、恐さの中に重要なメッセージを込めた映画を作って欲しいなぁ〜。
オチで観客を釣るのではなく、全編に人間の持つ恐怖心を煽る要素を散りばめつつ、そこから観客が読み取るべき何かを隠すような作品を・・・その方が彼らしいような気がします。

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2006年11月11日 映画た〜は行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

サイン

2002年アメリカ
監督:M・ナイト・シャマラン
出演:メル・ギブソン、ホアキン・フェニックス

(´▽`)つ★☆☆☆☆

<ストーリー>
ペンシルバニアで農場を営んでいるグラハムは、幼い子供2人とマイナーリーグの選手だった弟メリルと暮らしていた。
グラハムは牧師をしていたが、妻を交通事故で失い、神の存在を疑うようになって信仰を捨てていた。
ある朝、グラハムのとうもろこし畑に巨大なミステリー・サークルができていた。


※ネタバレありの記事です


シャラマンの監督作品ということで、期待をしすぎたのか「あちゃ〜〜(ノ∀`)」な感が強かった。
監督は、「信仰」「大いなる存在」「意味ある偶然」という、巷で言うところのスピリチュアルなテーマを盛り込んだ・・・・と、言っているらしいんだけれども・・・。

まずは「信仰」
主人公のグラハムは、妻が亡くなったショックで神の存在が信じられなくなります。
ここで私のツッコミですよ〜〜。
神父は死後の魂の救いを信じてるんじゃないのか?って思いましたわ。
妻を事故で亡くしたショックはわかるけど、それで簡単に信仰を捨てられるほど薄っぺらいものなのか?と。

signs4.jpg次に「大いなる存在」
これは宇宙のことで、神は宇宙であるとも言われてる。
神はいろんなカタチになぞらえていて、自然もそのひとつ。
日本なら一番偉い神様は天照大神(太陽)だったりするし・・・。
けど、いくらなんでも宇宙人やUFO出しちゃったら、ただのSFになっちゃうわけで、さすがに大いなる存在を表現するには安易すぎる。

そして「意味ある偶然の一致」
映画の中で細かくその「偶然」の伏線が張りまくられます。
それはまさしく「意図的」なことであって、その意図的な伏線が「偶然の一致」として結び付けられた時にゃあ・・・
よく意図的な偶然を作り上げたもんだと関心しましたよ。
私みたいな捻くれ者じゃない人は、ここで「おお〜〜〜!!そうだったのか!」と感動するんでしょうね。

出てくる宇宙人も水に弱いとか、メリルのバットで簡単にボコられるとか、そんな弱っちいエイリアンでよかったわね・・・という感じ。
変な光線発したり、妙な液体出したりしないので、普通の人間でも撃退できて、そしてグラハム一家は団結し、グラハムは奇跡を感じてまた神父に戻るのよ。
でも、変なガス吐いてたけどもね。
だったら、ガス吐きまくっていればいいものを・・・と、捻くれ者の私は宇宙人のへタレぶりに思うのでした。

Signs.jpg「シックス・センス」もテーマ的には「気づきと受け入れ」で、それは少年を通して上手く描かれていた。
この作品もグラハムの「気づきと受け入れ」であるんだけど、なにせ宇宙人が相手だからなぁ〜・・・。

それにしても、シャラマンは子役の起用が上手いね。
この作品も2人の子役はよかった。
息子のモーガン役の子は、「危険な遊び」で兄ちゃんのマコーレー・カルキンの弟役(?)で写真だけの出演でしたが、あの時は赤ちゃんだったのにねー。
大きくなったのね、と思いましたよー。

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2006年11月10日 映画あ〜さ行 2000年以降 トラックバック:0 コメント:0

エンゼル・ハート

1987年アメリカ
監督:アラン・パーカー
出演:ミッキー・ローク、ロバート・デ・ニーロ、リサ・ボネー

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
1955年、私立探偵のハリー・エンゼルは、ルイ・サイファーという男から戦前の人気歌手ジョニー・フェイヴァリットを探し出して欲しいと依頼を受ける。
ジョニーは戦争の後遺症で精神病院へ収容されていたはずだったが、病院の記録で退院したことがわかった。
ハリーはジョニーに関係していた人物に会っていくが、その人物が次々不可解な死を遂げていく。


アラン・パーカーが映像化不可能と言われた小説を映画化。
当時、人気のあったミッキー・ロークを起用しての作品だったが、ミッキーの我ままを我慢したアラン・パーカーの忍耐作品(;´∀`)
しかし、全体のダークさにミッキーは見事にマッチ。
どこか陰があり、エロチックさも加わって、独特な雰囲気を出している。
私個人的にはミッキー・ロークは好きじゃなかったけど、この作品に限ってはドンピシャな気がした。

まず、この作品はサスペンス映画ではないことを前提に観た方がいい。
単なる人探しでもなければ、殺人の犯人探しでもないのだから。
この映画の陥りやすいことのひとつが、「犯人は誰?」という視点でしか観ないこと。
最近よくある「もう一人の人格」「記憶」のトリックだと捉えると、「なぁ〜んだ、またか」と受け取ってしまいやすい。

angelheart.jpg冒頭に出てくる死体も何ら意味もないようにサラッと入れちゃうあたり、監督の計算通りかもしれない。
「あんなシーン、物語とどういう関係があるんだ?」という感想を読んだことがあるけど、完璧主義のアラン・パーカーの意図を考えることも重要。
実はあの死体はハリー自身だ・・・との見方もある。

この映画はホラー映画に近い。
悪魔の儀式が根底にあって、その儀式によって交わした契約を果たさせる内容なのだ。
まぁ、映画のタイトルはズバリそのものを示していて、映画を観る前は「天使の心か?」なんて思っていた私ですが・・・。
映画『セブン』なんかもそうだけれど、日本人はこういった宗教絡みの映画の恐さは西洋人より恐れの感覚が違うのがネックでしょうね。
黒魔術などを始めとして、「悪魔」への感じ方や恐れ方が違う。
柳の下で「うらめしや〜」の方がよほど恐い。
angelheart1.jpgでも、恐さは抜きでも、映画のダークさは凄いものがある。
映画で使われた血も牛の血を使ったということで、血生臭い雰囲気はリアルだ。

ところで、何かの本で「私は、昨日の私と同じ私なのだと、何の根拠もなく信じ込むことから今日が始まる」と読んだことがある。
「自分は自分であるはずだ」と。