屋根の上のバイオリン弾き
1971年アメリカ監督:ノーマ・ジュイソン
出演:トボル、ノーマ・クレイン、ロザリント・ハリス他
(´▽`)つ★★★★☆
<ストーリー>
帝政ロシアの圧制の中、ウクライナ地方のアナテフカのユダヤ人テビエは、妻と5人の娘たちで貧しくとも温かい家庭を築き、信仰と古くからの伝統を守って暮らしていた。
テビエが年頃になった上の娘たちをなんとか裕福な男と結婚させたいと願っていたところに、長女の結婚話が舞い込む。
ところが、長女には仕立て屋モーテルという恋人がいた。
そして、次女は革命を目指す学生を追ってシベリアへ行き、三女は異教徒のロシア人青年と駆け落ち。
そんな中、ロシア革命の波が村に襲い掛かかり、ユダヤ人迫害が始まる。
1960年代にブロードウェイのミュージカルとして絶賛を浴び、それを映画化した言わずと知れた有名な作品です。
舞台でテビエを演じたトボルが映画でも起用され、作品は1971年のアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞とあらゆる賞を受賞。
超有名な作品に限って、私はなかなか観ないんですよ〜。有名過ぎるし、評判が良いことは事前に十二分に知っているし、自分の中で興味を持たない限りは「じゃあ、私も観てみようかな」って気分にはならないんで・・・(;´∀`)
ホント、天邪鬼で自分でも困るんですが・・・。
この作品は、ユダヤ人の信仰心や伝統という確固たる信念と押し寄せる「個人主義」という時代の変化に戸惑い、一方でユダヤ人がいつまでも安住の地を得ることができない民族で在り続ける嘆きをテビエの視点で淡々と描いている。
ミュージカルと言っても、それほどワザとらしく歌い出すこともないので、違和感はありませんでした。中でも、「サンライズ・サンセット」はよく知ってる曲ですけど、映画を観ながら聴いて、初めて涙が出ました。
親が子の旅立ちに対する想い・・・っていうのが胸にきましたねー。
長女の結婚式のシーンは、ジ〜ンとしました。
それから、次女がシベリアに旅立つ時の列車を待つシーンや、三女が父親から結婚を許されず、嘆く姿がシルエットになってるシーンは印象的。
さて、この作品がヒットしたのは、世界各地に散らばったユダヤ人・・・当然アメリカにも多くのユダヤ人が移民したことに尽きると思います。(1880年〜1925年 アメリカへの移住者400万人にものぼるそうです)
そして、旧約聖書から引用したセリフの数々。
アメリカでウケないはずがありませんが、その辺の宗教心からかけ離れている日本人は、やはり家族愛に心を打たれるという点でしょうね。
タイトルの中の”バイオリン弾き”は原題で「FIDDLER」なんですが、「ペテン師」という意味合いで使うこともあるそうです。
ユダヤ人は「ユダヤ教という屋根の下に暮らす民」だそうで、だから屋根の上にいるのは神様なのです。
ユダヤ教の神様の思し召しの通りに我々は真面目にやっているのに、いつも苦難を与えるペテン師だ・・・という風にタイトルを解釈できますね。
ですから、テビエも上を見上げるシーンが多いのかもしれません。

定住地のない民族・・・ユダヤ人の歴史は迫害が付きまとっていて、職業と居住区の制限を受け、区別をするために服装も帽子をかぶるなどが義務付けられてたんですね。
劇中、ロシア当局からの命令で村を追い出される時、「だから我々はいつも帽子をかぶってるのだ」というセリフがありましたけど、私たちにはわからないジョークなんでしょう。
そして、テビエ役のトボルが素晴らしいんですよねぇ〜。
彼はこの作品の時にはまだ30代だったそうです・・・見えませんけど(;・∀・)
この作品の後は、なぜか「フラッシュ・ゴードン」に出てます。
3時間近くもある作品ですけど、見入ってしまう作品でした。

遠い空の向こうに
1999年アメリカ監督:ジョー・ジョンストン
出演:ジェイク・ギレンホール、クリス・クーパー、ウィリアム・リー・スコット
(´▽`)つ★★★★☆
<ストーリー>
1957年、ウェスト・ヴァージニア州の炭鉱町コール・ウッド。
ソ連の人工衛星スプートニクを見た高校生ホーマーは、自分でロケットを打ち上げようという夢を抱く。
ホーマーは友だちのロイリー、オデル、クエンティンを誘い、ロケットを作り始める。
しかし、何度改良をしても打ち上げの失敗が続く。
ホーマーの父親は息子に対し理解せず、父と子の対立が激しくなる一方で、物理教師ミス・ライリーだけは、全米科学コンテストに出品を勧め励まし続ける。
ホーマー・H・ヒッカムの自伝小説「ロケット・ボーイズ」を基に映画化した作品。
情熱を持ち続けることの大切さと家族との繋がり、そして人は支え合いながら生きてゆく・・・というメッセージを含みながら、それをテンポ良く爽やかに描いた良質な青春映画。
この作品は、どの年齢層かによって観方や感じるところは違うかもしれません。映画の舞台となった時代は、まさに冷戦時代に突入して間もない頃。
炭鉱の町の中という狭い世界しか知らない高校生が、人工衛星を見るために夜空を見上げる。
そして、スプートニクが流れ星のように夜空を輝きながら横切っていくのを見て、狭い世界から果てしない世界を想像していくんですね。
「この町も世界の一部なんだと感じた」
その短いホーマーのセリフは、彼がロケットに情熱を注いでいくきっかけを一言で表現する素晴らしいセリフだと思いました。
そして、この映画は親子の関係にも大きく焦点を当てている。炭鉱で働く親父は頑固者が多いのか、ホーマーの父親も御多分に漏れず頑固者。
高校を出たら炭鉱で働くことと決め付けている。
父親にとってみれば、炭鉱の町が自分たちの生きるリアル世界。
大人にとっての世界は、仕事をし、生活を営む場所だけが全てになる・・・そういう世界観に反発するのが若者。
それは時代が変っても普遍的なギャップかもしれませんね。
しかし、こういう「子供の最初の壁」になる父親は案外貴重なんですよ。
父親って存在は、特に息子にとって乗り越えなければならない存在のはずなんです。
さて、この作品はとても丁寧に作られていて、尚且つテンポが良い。
バックで流れる1950年代のポップスもなかなか良いですねー。
「スタンド・バイ・ミー」でも使われてるお馴染の曲もあります。
そして、ホーマー役のジェイク・ギレンホールが良かった。

ところで、この映画の原題は「October sky」(10月の空)なんですけども、カラクリがあるんですねー。
原題のアルファベットをアナグラム(並べ替え)すると・・・
「Rocket boys」(ロケット・ボーイズ)
凝ってます。

ベティ・サイズモア
2000年アメリカ監督:ニール・ラビュート
出演:レニー・ゼルウィガー、モーガン・フリーマン、クリス・ロック
(´▽`)つ★★★☆☆
<ストーリー>
カンザス州の田舎町。
ウェイトレスをしているベティ・サイズモアには、車のセールをしている夫がいる。
そんなベティは、昼の連続ドラマ「愛のすべて」の大ファンで、ドラマの主人公のステキな医師デイヴィッドに夢中になっていた。
ある日、ベティひとりで録画したドラマを見ていると、夫は黒人2人組と一緒に帰宅してきた。
ところが、夫が麻薬を横取りしたという話から、2人に殺害されてしまう。
ベティは隣の部屋からその現場を目撃。
ショックを受けたベティは、昼ドラの架空の世界と現実の堺をなくしてしまう。
2000年カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞を受賞した作品。
レニー演じるベティが精神的ショックから無意識のうちに現実逃避し、それに振り回される人々をサスペンスも織り交ぜながらコミカルに描いている。
TVドラマの中の人物にお熱を上げちゃう女性・・・特に既婚女性は多かったりしますからね。夢見る夢子さんと言ったらなんですけど、多かれ少なかれ女性にはそういうところがありますから、そういう点でベティは特別変った女性ではなかった。
ところが、ショッキングな出来事が起きてしまって、自己防衛のためにポーンとドラマの世界に入ってしまったベティ。
カンザスからハリウッドまでの2000キロの旅を始めちゃう。
(ちなみに、日本は全長3500キロだそうです)
ドラマの主人公デイヴィッドとベティ自身のエピソードが自分の脳内では過去の出来事としてしっかり確立されていて、結ばれるはずだったデイヴィッドと再会を果たすための旅。そんなベティはひとりで幸せ気分なのです。
ところが、そんなことになってるとは夢にも思っていない周りの人々。
そこへ、麻薬をベティが持ち逃げしたと思い込んで、追い始める黒人2人組のチャーリーとウエズリー。
追いかける2人組の年長者が人の良さそうなモーガン・フリーマンなので、緊迫感は感じません。一方で、若い方は血の気が多そうというか、とにかくイライラしっぱなし。
そういう意味合いで、バランスを取っているんでしょうね。
で、この2人の関係はラストで明かされるんですが、結構驚きましたよ私は。
とにかく、この作品はレニーのキュートさに尽きますね。
彼女のはにかむ照れ笑いが好きなんですよー。
頭の中がお花畑で、周りの人たちが巻き込まれていくカタチなのに、わけもなく話がトントンと進んでいく。
「んな、ばかなぁ〜〜!」
ということ満載♪
そして、この映画はさりげなく(?)エグいシーンもあったりするんですけど、なんか潔すぎて笑えちゃうから不思議。すべての設定は一歩違えば、アイタタ・・・な映画になるところを工夫していて、そうは思わせない。
それが脚本の素晴らしさなのでしょうね。
エンディングに「ケ・セラセラ」という有名な曲が流れますけど、この曲すらも頭ん中のお花畑っぽさを演出してる風に感じさせるなんて・・・。
まっ、物事を真剣に捉えても人生、お気楽に考えても人生哉ってことですね。

もしも昨日が選べたら
2006年アメリカ監督:フランク・コラチ
出演:アダム・サンドラー、ケイト・ベッキンセール、クリストファー・ウォーケン
(´▽`)つ★★★☆☆
<ストーリー>
建築士のマイケルは、家庭を顧みない仕事人間。
そんなマイケルは、家に沢山のリモコンがあって、どれがテレビのリモコンなのかもわからずイライラ。
全ての電化製品を操作できるリモコンを買おうと、深夜も営業しているホームセンターに出かけた。
マイケルは店内で謎の部屋を見つけ、そこで怪しげな従業員モーティに出会う。
モーティは倉庫から、何でも操れる最先端のリモコンをマイケルに渡す。
そのリモコンは、時間も人も操れるリモコンだった。
時間を操作するリモコンっていう発想が面白く、普通のタイムトラベルとは趣が違うアイディアは良いと思う。
時間だけではなく音量も操作できるので、うるさい人のお喋りや騒音なんかも音量を下げたりと、「あったらいいなぁ〜」と思った人も多いかも?
深く考えずに軽く観る分には、ちょっとシモネタが多かったりするけれど楽しめるかな?とは思う作品。けれども、私はどうも笑いきれないネタが気になったんですよ。
主人公は働きすぎで家庭を顧みない男・・・この設定は、仕事に打ち込む男は家庭人として失格だという感じですけど、どうなんでしょうね?
まぁ、そこはアメリカの考え方との違いなんでしょうけどもね・・・。
それに、この作品は日本を皮肉っている部分も気になりましたよ。
「日本人は魚を焼く時間も惜しむ」と、日本人からの仕事のオファーが来て、期限をきっちり守らないといけないっていう点を皮肉っているセリフ。
家族とのバケーションを楽しむために、仕事の納期を遅くしても構わないというのはアメリカ式なのかは知りませんけど、「きっちり約束日を守る」ことを皮肉られてもなぁ〜・・・と。それで家庭との板ばさみでマイケルはイライラしちゃって、例のリモコンに辿り付くというんだから、日本人としては複雑というか・・・。
そして、日本のロボット犬「アイボ」を壊すシーンがっっ!
うわぁ!なんてことをっ!!o(`ω´*)o
こりゃ、絶対にこの映画を作ったアメリカ人は日本が嫌いだろー!?
ブラック・ジョークのつもりならセンスはないですわ。
でもまぁ、それはそれとして、ストーリーは「クリスマス・キャロル」というお話っぽい。マイケルはあくまで出世のことしか考えずに、リモコンを操作していく。
すっ飛ばした時間の自分の行動は、マイケルにはわからない。
たどり着くと、そこには結果しかわからないので、どういう経緯でそこまでの人生を歩んできたのかわからない。
「浦島太郎」状態な訳ですよ。
オチは、観ていくとだいたい予測できる。
この映画の面白さはリモコンで時間を操作しちゃうことと、ギャグやらシモネタを観て、反応で笑える・・・ということぐらいかな。
あとは、クリストファー・ウォーケンの怪しくて可笑しい演技が楽しい。彼のキャラは、かえって面白さを増幅してしまうんだなーっていう発見ですかね?
ところで、この映画にはダスティン・ホフマンの息子とジャック・ニコルソンの娘が登場しているんですねー。
美男美女ですねー。
それと、邦題の「もしも昨日が選べたら」よりも原題のままのタイトルにすれば良かったのに〜・・・と、思います。

エコール
2004年ベルギー=フランス=イギリス監督:ルシール・アザリロヴィック
出演:マリオン・コティヤール、エレーヌ・ドゥ・フジュロール他
(´▽`)つ★★★☆☆
<ストーリー>
深い森の中、外界と遮断された秘密の学校「エコール」は、6才から12才の少女だけの学校で、自然生態やダンスを学んでいく。
男性がひとりもいない場所で少女たちは、寄宿生活を送っていた。
そこに新入生イリスは棺に入れられ、連れてこられた。
そして、在学生と同じ白いシャツとスカートの制服、学年を区別するリボンを髪につけてもらう。
19世紀、フランク・ヴェデキントが書いた「ミネ・ハハ」が原作で、監督なりの解釈で映画化された作品。
映画「サスペリア」も同小説をヒントに作られたそうです。
この映画はストーリーはありません。言わば、「起承転結」がないということです。
あくまでも抽象的な映画であり、森の中ということと女性しかいないということ以外は不明です。
なぜ新入生を棺に入れてくるのか、その子供たちはどこの誰なのか、なぜエコールに来たのか・・・。
謎だらけなので、観る人によっては相当なフラストレーションは溜まるかもしれません。
女の私から観たら、少女時代に憧れていたお伽の世界を垣間見た気がしました。
白い制服や髪を結ぶリボン・・・髪を三つあみにしてリボンを付けることは、どこかのお嬢様のようで、何気に憧れの髪型なんですよね。
「かわいいなぁ〜」なんて思いながらウットリ。
しかも、緑の森の中で優雅に遊ぶ姿なんかは、まさに自分の頭の中で描いていた天国そのもの。
特にこの映画での象徴的なシンボルは「脚」なぜ脚なのか?と思う人もいるでしょうけど、少女が思春期を迎えると脚はお肉が付いてくるんですよね。
まだ身長がグングン伸びる頃の脚は棒みたいに華奢でスラッとしている。
脚を少女の象徴として映し出した監督の意図は、そういうところかな?と勝手に解釈してみました。
すべてが絵画のようで美しいんですけど、私が惹かれたのは森の中の小道にある外灯。
あの外灯に照らされながら、少女が歩いていく後姿を映し出すシーンは身もだえしそうな程美しいと思いました。
・・・その辺を言葉で表現できないのが悔しいですけど・・・ (。・x・)ゝ

まぁ、この映画は「ロリ映画」と言う節もあるみたいですが、確かに少女独特のエロスは表現されているでしょうねー。
男性と女性とでは、この映画に対する印象は違うんじゃないでしょうか?
監督はそれをよくわかってるなーって思います。
まるで卵がふ化して誕生したように棺から出て、森の中でさなぎから蝶になり、ラストで男性と出会うシーンで終結させるあたりがなかなか良いですわ。
その段階をとっくに通り越した女のロマンを刺激する映画でもあるかもしれませんね(;´∀`)

機械じかけの小児病棟
2005年スペイン監督:ジャウマ・バラゲロ
出演:キャリスタ・フロックハート、リチャード・クロスバーグ、エレナ・アラヤ
(´▽`)つ★★☆☆☆
<ストーリー>
イギリス、ワイト島のマーシー・フォールズ小児病院は、老朽化のため閉鎖間近だった。
その病院に派遣されてきた看護婦のエイミーは、入院している子供たちが何かに怯えていることを不審に思った。
すると入院している少女マギーからシャーロットの話を聞く。
病院でも古くからシャーロットの幽霊話は有名で、長い間立ち入り禁止になっている2階にいたのだという。
やがてエイミーも怪奇現象を目撃し、シャーロットの記録を調べ始める。
そして、病院で起きた惨劇とシャーロットの目的を知るのだった。
「アーリー・MY・ラブ」でお馴染のキャリスタ・フロックハートがホラー映画?・・・という興味本位で観てみました (。・x・)ゝ
「スピリチュアル・ホラー」ということですが、「スピリチュアル」ってそもそも「霊的」という意味だし、簡単に言えば「怪談」ですね。
舞台が古い病院で、しかもゴシック調。おのずと恐さを引き立てる建物・・・ということで、イギリスを選んだことは頷けます。
そして島ですから、なんとなく世間から隔離されてる雰囲気が閉塞感を感じさせて、ホラー的には申し分なし。
加えて、幽霊と子供という組み合わせも恐さを煽る要素。
まぁ、全体に定番な設定ではありますので、新鮮味はありません。
で、この映画はどことなく日本の「怪談」とかジャパニーズ・ホラーっぽい感じを受けました。
恐がらせ方として、なんとなく何かがいるっていう見せ方とか。
視覚的なものに頼って恐がらせるのではなく、感覚的な恐がらせ方かな?
エミリーはシャーロットについて何か知ろうと調べ始めていくんですが、その辺りは「リング」の貞子さんを調べていく松嶋菜々子って感じですかね。意図的なのかどうかは知りませんけど、「シャーロット」と「死ぬ」ことが関連していく点もかぶります。
その恐い話には物悲しい話が隠れているんですよーっていうところも、なんとなく日本的な印象を受けた所以なのですが・・・。
エミリーがとても暗いキャラなんですけど、それはどうやら過去が起因しているらしいんですが、その辺を会話で説明しちゃってる点は安易さを感じました。
それをラストの方で、エイミーの「だから今度こそ子供たちを助けるのっ!」っていうセリフに繋げていくのは、ちょっとワザとらしさを感じなくもないというか・・・。
そして、ちょっと大げさすぎやしないか?っていうシーンがラストにテンコ盛り。SFホラーっぽくなっちゃったよ?
いくら盛り上げるためとは言え、あれはやり過ぎで笑ってしまいました。
「おいおい、それはどうなの?」って。
オチがなかなか良かっただけに残念。
いろんなホラーの要素をごちゃまぜにして作ると、こういう映画になりますよ・・・というお手本みたいな映画でした。
一番恐かったのは、立ち入り禁止の2階の雰囲気ですねー。
同じ建物に、あんな階があったら嫌ですね〜((((;゚Д゚)))

RIZE -ライズ-

2005年アメリカ
監督:デヴィッド・ラシャベル
出演:トミー・ザ・クラウン他
(´▽`)つ★★★☆☆
<解説>
L.A.サウスセントラル地区。
犯罪が絶え間なく起きる貧困層が住む地区で、トミー・ザ・クラウンは、子供たちの誕生会やパーティーの余興として、ピエロの姿でダンスを披露する仕事を始めた。
彼の元には多くの若者が集まり、暴力や麻薬ではなく、ダンスでエネルギーを発散し、自己を表現する楽しさを知っていく。
監督のラシャベルはフォトグラファーで、この作品はドキュメンタリー映画として初めて監督を務めた。
劇中、フォトグラファーならではのアングルのダンスシーンは圧巻。
フォトグラファーとしての仕事をしながらの撮影だったらしく、完成するまでに3年の歳月を要したらしい。
冒頭、「この映画に登場するすべてのダンスシーンは、早回しではありません」というテロップが出る。それくらい、今まで見たこともないような腰を前後に揺さぶる激しいダンス。
この映画を観終わったら、観てただけなのに疲れてグッタリしてしまった。
彼らのエネルギーは、受け止める許容量を大幅に超えるもの・・・っていう感じかもしれない。
ダンスと言えども、美しくはない。
あれは、彼らの中に湧き上がる色々なエネルギーが吐き出されたカタチ・・・という表現がピッタリのような気がする。
中でも、アフリカ原住民の部族の踊りというのか儀式というのか、その映像も挟み込んで対比させる手法は面白かった。踊りの形態がまるで同じで、共通しているという発見。
サウスセントラル地区にいる若者たちは、自然と自分たちのルーツに回帰しているんですねー。
何かの真似ではなく、あのダンスは彼らのDNAそのものなんですね。
それが自尊心に繋がり、ただ単にワルに走らないための手段になっていないという、監督の視点なのだろうと思いました。
そしてこの映画を観て感じたのは、アメリカという国は色んな側面があるんだということ。一口に「アメリカ」と言っても、私たちがどの側面を見るかによって、アメリカという国は色んな顔を見せてくる。
サウスセントラル地区はロス暴動が起きたということで有名な場所ですけど、犯罪発生率は半端じゃない。
命がけで外出しなくちゃいけないくらい、治安が悪い。
でも、そこもアメリカ・・・ってことなんです。
ところで、ダンスシーンを見ていたら、あまりにも腰を激しく振ってるので、内臓というか腸が変にならんものかと心配しちゃいました(;´∀`)
なんとなく、見ているだけで自分の腸がよじれる感覚になって、お腹の辺りに違和感を覚えた・・・orz


ニック・オブ・タイム
1995年アメリカ監督:ジョン・バンダム
出演:ジョニー・デップ、クリストファー・ウォーケン、チャールズ・S・ダットン
(´▽`)つ★★★☆☆
<ストーリー>
妻を亡くしたジーン・ワトソンは幼い娘を連れ、正午に新天地ロスアンゼルスの駅に降り立った。
ところが、警察を名乗る男スミスとパートナーの女にワトソンと娘は拉致され、午後1時30分までにある人物を殺害するよう命じられる。
娘を人質に取られたワトソンは、拳銃と標的の写真を渡され、指定されたホテルへと向かう。
※ネタバレ含んだ記事です。
上映時間と同じ時間進行で話が展開する作品で、最近では「16ブロック」がありますね。
ごく普通の人間が殺人を依頼されてしまう・・・というあたりは、ヒッチコックを彷彿させる。
この作品は手持ちカメラを使い、カメラアングルやカット、そして音声にも趣向を凝らして、素人が追い込まれていく様を巧みに演出している。
突然理由もわからぬまま、殺人を命令されるワトソン。どう見たって、普通のビジネスマン。
一方、ワトソンを拉致して殺人を命じるスミスは、どう見たって悪そう。
標的は誰で何のために殺害するのか話が見えないまま、拳銃を渡されブルブルしながら目的地へと向かう。
この謎だらけっていうことで、グッと観る者は興味をそそられていく序盤の掴みは見事。
そのワトソンをスミスはずっと傍で監視していて、助けを求めようにもできない状態。
時間の経過を示すために、何度も時計が映し出される。
目的地のホテルに着くと、何やらイベントの準備をしていて、おもむろにワトソンの後ろに女性知事の顔写真の大きな幕が広げられる。それと同時にワトソンが標的となる写真を封筒から出す・・・このタイミングは絶妙。
標的が州知事だと知って愕然とするし、支持者やマスコミなんかが大勢行き交う中での暗殺になるわけです。
当然、警備も厳しいし、知事がひとりでフラフラ歩いているわけでもないので、そういう中で実行しなければならない。
時間制限と人質に取られた娘の命の危機というプレッシャーの中、人を殺害しなければならない男ワトソン・・・ジョニーは相変わらず見事に演じているんですが、彼自身の持つ独特の雰囲気が少し邪魔になったかな?
ワトソンに付いて回るスミスを演じるクリストファー・ウォーケンも独特だし、相殺しちゃってるような感じがしました。
警備が厳しい知事の演説会場に拳銃を所持して入れるわけないでしょ?どうすんのぉ〜・・・・と思いきや、スンナリ入れた時点で大掛かりな暗殺計画だということを私たちも知るんですねー。警察もみんなグルなのかよと。
これもまた、「16ブロック」が使ってますねー。
知事を殺害するのに警察まで取り込む奴らがいるほど、アメリカの州知事の政治的権限が大きいってことなんでしょうけど、その意図はわかりにくかった。
そして、そこまで組織的な暗殺計画に素人を利用するのも、説得力がないというか・・・。
素人は狙撃力が確実にあるわけでもないのにって、突っこんでみる(;´∀`)
ジョニーの初の父親役だったらしいですけど、まあまあかな?

ビューティー・ショップ
2005年アメリカ監督:ビリー・ウッドラフ
出演:クィーン・ラティファ、アリシア・シルヴァーストーン、ケヴィン・ベーコン、アンディ・マクダウェル
(´▽`)つ★★★★★
<ストーリー>
カリスマ美容師ホルへの店で働くジーナは腕がよく、客の信頼も厚かった。
しかし、その人気に嫉妬したホルへとの言い争いで店を飛び出してしまう。
もともと独立して自分の店を持つことが夢だったジーナは、これを機会になんとかゲットーで小さな店をオープンさせるのだったが・・・。
「バーバーショップ」から生まれた姉妹編の作品。
日本では未公開だったのが残念なくらい、とても質の良いヒューマン・コメディです。
主人公ジーナは、女であり黒人でありシングルマザーでもあるんだけれど、自分の中にきちんとした「信念」がある。だから、譲れないものは譲らない。
たとえば、生意気な言葉づかいをした子には、「ちゃんとした言葉づかいができなきゃ店の出入りはさせない」と言い切ったり。
黒人の街ゲットーであっても、お客がくつろげる店作りを徹底する。
そしてジーナを演じるラティファがとっても良いんですよー♪ドーンと構えた雰囲気もそうなんだけれど、彼女が動いたり喋ったりする雰囲気っていうのがなんとも良いんですねー。
娘にはピアノを習わせていて、その辺がジーナ自身に品格が備わってるという設定とラティファの風格が上手く重なっていて、魅力的なんですよ。
遅まきながらこの作品で、私はラティファがお気に入りになっちゃいました。
お店で働く女性たちも個性豊かで、お喋りなんかもテンポが良くて下ネタ全開。
ほとんど店の中でのシーンなんだけど、テンポが良いので観ていても退屈しないんですねー。
この作品のもうひとつの魅力は、なんと言ってもファッションやヘヤースタイルが楽しめることですね。ジーナの髪型ひとつとっても、色々な髪型で登場しています。
そのジーナがお店で大事に飾っている写真があるんですけど、黒人女性で美容師から化粧品会社を始めて、成功した「C・J・ウォーカー」だそうです。
さりげなく、ジーナの夢の象徴であることを語ってる写真なんですね。
登場人物のほとんどが女性なんですけど、数少ない男性の中でも白人男性は嫌なヤツっていうのは皮肉かも・・・?その白人男性っていうのがケヴィン・ベーコン(;・∀・)
しかも、オカマさんのような仕草のキャラ!
で、案外似合ってるから笑えるw
カリスマ美容師・・・日本でも一時流行りましたが・・・・
この映画を観ている時、自分の顔がずっと笑顔っぽくなってることに気づいたくらい、そういうエネルギーをもらえる作品です。
多くの女性に観て欲しい映画ですね。


セブン・イヤーズ・イン・チベット
1996年アメリカ監督:ジャン・ジャック・アノー
出演:ブラッド・ピット、デイヴィッド・シューリス、B・D・ウォン
(´▽`)つ★★★☆☆
<ストーリー>
1939年、ナチス統制下のオーストリア。
登山家ハラーは身重の妻を顧みず、アウフシュナイダーと共にヒマラヤ山脈の最高峰ナンガ・バルバットを目指して旅立った。
その頃、第二次世界大戦が激化し、ドイツの宣戦布告によってハラーたちはイギリスの植民地インドでイギリス軍に捕らえられ、捕虜収容所に送られてしまう。
収容所に入れられてから2年後の1942年9月、ハラーたちは監視の目を欺き、脱走する。
ハラーはアウフシュナイダーと共に2年間追跡を逃れ、1945年に2人はチベットのラサに辿り着く。
ハインリヒ・ハラーの回想録を元に作られた作品。
原作とは違って、映画では既婚者でオーストリア人と設定されている。
ジョン・ウィリアムズの曲とチェリストのヨーヨー・マの奏でるチェロの音が、チベットの人々の深い哀しみを代弁してるように響き渡ります。
この映画が封切りになる直前、私は先に原作本を読みました。その頃の私はチベットの近代史を知らず、本を読んだ時に大きなショックと怒りを覚え、そしてハラーが過ごしたチベットでの日々を映画で描ききれるものか?と、あえて映画を観ないことにしていました。
それから10年近く経ち、ようやく映画を観た・・・という経緯です。
恐らく、原作本を読まず10年前に映画を観たら、私もネットで多く見かける感想と同じで、「ブラピかっこいい♪」って書いたことでしょう。
けれど、この作品は第二次世界大戦や終戦、そして中国によるチベット侵略という大事に遭遇した男の物語であり、自己中心な自分を変えてくれたチベットが刻々と破壊と滅亡の危機を憂いるハラーの心の叫びをブラッド・ピットを起用したことで見えにくくしてしまった感がある。
映画のロケは、勿論チベットでは行えるはずがないので、反対側にあるアルゼンチンで行ったそうです。そこに、ラサを見事に再現したのでは?と思います。
この映画の中で広がる広大な風景は、無言のメッセージを私たちに訴えかけているようでもあり、畏敬の念を抱かざるを得ません。
そして、この映画でダライ・ラマの少年期を演じた子が本当に素晴らしい!
往々にして、西洋人による映画での東洋人のチョイスはイメージ先行している部分が多々あるのですが、この配役は見事だと思う。
しかし、やはりハラーの13年間はあまりにも濃いので、まんべんなく描こうとしたためか、かえって上面で軽い感じになってしまったのが残念。そして、やはりハリウッド式とでも言うか、原作にはなかったラストを創作して入れ込んで結んでいくのも強引。
もう少し、何か的を絞り込んだ方が良かったのでは?と思う。
チベットに関してもプロバカンダな映画にならぬよう配慮したせいか、チベットの7年間さえ軽い仕上がりに思えた。
さて、この映画を観るまでの間にネットが普及し、チベットのことをいろいろ知るようになりました。
中国によるチベットでの虐殺行為が今尚行われ、チベット民族の血脈根絶のために女性は惨い仕打ちに遭い、少しでも中国を批判しようものなら即投獄されたり処刑されたりと、人権侵害もはなはだしい実態を知り、その上でこの映画を観たので、胸が本当に痛くなりました。
ハリウッドでは、リチャード・ギアを始め、多くのアクターがチベットに於ける中国の人権侵害を訴えてます。ダライ・ラマと親睦のあるリチャード・ギアは、中国当局より入国拒否をされているそうです。
日本では、なぜか意図的にチベットのことを報道しません。
けれども、こういう映画をきっかけに知ることも重要だろうと思います。
原作者のハインリヒ・ハラー氏は、この映画の製作から10年後の2006年に亡くなったそうです。

チベットのことを色々と知ることができるサイトです。
↓
http://www.tibethouse.jp/home.html

ゴースト・ドッグ
1999年アメリカ監督:ジム・ジャームッシュ
出演:フォレスト・ウィテカー、ジョン・トーメイ、クリフ・ゴーマン
(´▽`)つ★★★★☆
<ストーリー>
殺し屋のゴースト・ドッグは、日本の武士道精神を語った「葉隠」を座右の書にしていた。
彼は、自分の命を救ってくれたマフィアのルーイを主として敬い、忠実を尽くしていた。
ある日、ルーイのボスであるヴァーゴの娘ルィーズに手を出したフランクを射殺しろと、ルーイからの命令がきた。
ルィーズがフランクと一緒にいたが、ゴースト・ドッグはフランクだけを射殺し、ルィーズには何もせずに去った。
ところが、ルーイはヴァーゴの右腕のソニーから、ファミリーの身内であるフランクを殺害したゴースト・ドッグを始末しろと命じられる。
「デッドマン」の監督ジム・ジャームッシュは日本好きでも有名で、この映画は「葉隠」の文を引用しながらストーリーが展開する。
「デッドマン」でも音楽にインパクトを与えていますが、この作品もラップがマッチしていてとても良い。
その音楽はRZAが担当し、劇中にチョット出演している。
まず、「葉隠」という書は、佐賀鍋島藩に仕えた山本常朝が口述した内容を書にまとめたもの。江戸時代では、太平の世を壊すと考えられたために禁書になった。
しかし、明治以降の戦争時代は重要な書となったそうで、三島由紀夫も座右の書にしていたということです。
映画は、「武士道と云(いう)は、死ぬ事と見付けたり」という一文で始まります。
これは「死」を喩えにして、それだけの覚悟を持って事に臨めという意味合いであり、それを映画の主題にしてるという風に読み取れます。
「デッドマン」では、ネイティブ・アメリカンのスピリットに焦点を当てていましたが、この作品は侍スピリットに焦点を当てているんですね。
だからか、「デッドマン」で出演していたネイティブ・アメリカンのノーボディ役の俳優さんもチョッと出てます。
この映画に「羅生門」というタイトルの本が出てきます。この本は、ルィーズからゴースト・ドッグに渡り、次に公園で出会ったバーリーンという子に渡り、ルーイに渡る。
で、バーリーンが芥川龍之介の「藪の中」が面白かったとゴースト・ドッグに感想を言う。
ルーイが複雑化した事に対して「何が何だか・・・」とボヤくんですが、それこそが「藪の中」という物語を言い当ててるような言葉なのもミソ。
それに、ゴースト・ドッグがフランクを殺害し、その側にルィーズがいた・・・という設定も「藪の中」に似てますねー。
それと、テレビのアニメがやたら出てくるんですが、よく見ていると登場人物のやってることを皮肉ってるようなんですよ。こういうセンスが面白いですね。
さりげなく、日本っぽいカレンダーがマフィアの事務所に貼ってあったり、ゴースト・ドッグのTシャツに「すべて熟知」なんてプリントされてあったり、そういう日本チックなアイテムを探すのも楽しい作品です。
まぁ、ツッコミどころも無きにしもあらずですが、のそっとしたウィテカーが侍スピリットに傾倒しているって意外性は面白いし、味があって良かった。
ゴースト・ドッグとルーイの連絡の手段が伝書鳩っていう、アナログにもならない通信方法も感嘆しちゃいました。
そして、フランス語しかわからないアイスクリーム屋のレイモンとフランス語は知らない英語のゴースト・ドッグの成り立ってない会話も、「以心伝心」ってことでしょうか?面白いなぁーと思いました。
萎えそうな調子外れた、アイスクリーム屋の音楽は笑えます(´▽`*)

派手なアクションを控えていたためか、メリハリが乏しく見えてしまうんでしょうが、派手なアクションは「キル・ビル」みたくなって「葉隠」が薄っぺらになっちゃうでしょうから、こういう造りで正解だと私は思います。
ところで、むしろ戦後の日本は「葉隠」の武士道を捨て徳川時代の太平な世を追及する一方で、国に忠誠を誓い戦争に駆り立てられているアメリカ国民の方が「葉隠」の精神を求められてる気がします。
もしかしたら、それを風刺するような作品なのかもしれません。
オチというか、ラストは「あ〜、なるほど」とニヤリ ( ̄ー ̄)

カンニバル!ザ・ミュージカル
1993年アメリカ監督:トレイ・パーカー
出演:ジュリアン・シュワルツ、トディ・ウォルターズ、ディーアン・バッハー他
(´▽`)つ★★★★☆
<ストーリー>
19世紀末、コロラドの金鉱に向かう途中、雪で遭難した際に仲間の肉を食べたとして、逮捕されたアルフレッド・パッカー。
裁判で無実だと訴えるパッカーは、独房に入れられ判決を待っていた。
そこへ、女性記者が記事にするため、パッカーの話を聞きにやってきた。
パッカーは事件の起きた旅を話し始める・・・。
実際に起きた事件をブラック・ジョークも交えながら、なんとミュージカル仕立てにした作品。
トレイ・パーカーの初監督作品で、この作品を作ることにのめり込んでコロラド大学を中退したというエピソードは有名・・・らしい。
自主制作ということで、出演者はほとんどがコロラド大学の学生などの仲間たち。
トレイ自身も監督の他に、音楽と主演もこなしている。
そして、撮影担当者も罠師役で出演し、トレイの実家の裏庭でも撮影するほどの低予算作品。
映画の冒頭に、この映画は1954年に公開されたが「オクラホマ!」の大ヒットでお蔵入り。
昨年、ネガフィルムが発見され、最新の着色技術とコンピューター技術を駆使して復元。
この映画は、観る人のために暴力シーンは削除されています。
・・・というようなテロップが出ます。
このテロップを「本当かいな?」と思うも、すぐにハッタリだとわかるあたりがこの映画の良いところ。
おバカな映画丸出しで、パッカーの髭も付け髭って感じが満々。
そして、パッカーと旅を共にする連中も個性豊かというか、どこかしら変。
・父親から強制的にコロラドへ行かされるハンフリー。
・19才の童貞クンでヤリまくりたくて仕方がないヌーン。
・やたら前向き過ぎるスワン。
・全ては主のお導きと信じ、教会立てるぞ!のベル。
・肉屋を開くのが夢で歌は苦手なミラー。
コロラドまでの道筋を知らないパッカーなのに、なんだかわからん内にコロラドまでのガイドになる。そんなパッカーは、友だちが愛馬しかいという、なんとも寂しいキャラなのです。
その愛馬が途中でいなくなっちゃう。
まるで、愛しい人でもいなくなったかのように、半べそかきながら馬を探す・・・そして歌♪
パッカーに振り回されながら、まったく順調じゃない旅。
でも歌うし踊る。
腹が減っても、寒くてムカついても歌うし踊るw
トドメが途中で出会う、思い切り日本人のインディアン。
よく聞けば、そのインディアン(?)同士の会話は、ネイティブなジャパニーズをスピークされてるのですよ〜(´▽`*)
酋長さんは、とても人の良さそうな日本人で笑えた♪
どうも、この方たちはコロラド大学に日本から留学した学生さんのようなんですねー。

ちょっとイタいシーンもありますけど、それすら笑わせてくれる。
とにかくおバカ満載なミュージカルで、ここまでやってくれると気持ち良いくらいです。

ザ・バニシング - 消失 -
1988年オランダ=フランス監督:ジョルジュ・シュルイツァー
出演:ベルナール=ピエール・ドナドュー、ジューネ・ベルフォーツ、ヨハンナ・テーア・スティーゲ
(´▽`)つ★★★★☆
<ストーリ>
フランスへ旅行にきたレックスと恋人のスサキア。
途中で立ち寄ったガソリン・スタンドの店で、飲み物を買いに行ったスサキアが突然姿を消した。
何の手がかりもないまま、3年が経った。
レックスはTVに出るなどして、スサキアを探し続けていた。
ある日、レックスの元にスサキアの手がかりを知る者から連絡がきたのだった。
※ネタバレありの記事です。
この映画のリメイク「失踪」はキーファー・サザーランドを起用し同じ監督により作られたが、作品としてはこちらのオリジナルが断然上。
残念ながら・・・というか、私はリメイクの「失踪」を先に観てしまったので、このオリジナルを観る時にはすでに結末を知ってしまっていた。
リメイクの方はハリウッド的娯楽を取り入れざるを得なかったためか、ラストは変えてあるのだけれど、たぶんラストはオリジナルとリメイクで好みは別れると思う。
私はですね、ラストに手を加えすぎたへタレなハリウッドのリメイク版はわざとらしくて嫌ですねー。
こちらのオリジナルは、全体に静かで地味なのだけれど、静かさの中の恐さはヨーロッパ特有の雰囲気が手伝って、充分に伝わってくる。
変に音楽で演出していない分、レックスの喪失感が滲み出てくるのだ。
犯人は異様な雰囲気を感じることもない、極普通の家庭を持った良き父親。
なにやら、やけに細かしい几帳面な性格で物事を哲学的にしちゃうタイプ。
女性を誘拐するという行為の先にある、とても残酷な行為を行う根拠が「娘が自分をヒーロー」として崇めているため。
要するに、「正義の自分」を存在させるためには「悪の自分」も存在しないといけない・・・っつーこと。
光が存在するためには、暗闇の存在がなくてはならないっていう理論ですね。
そして、この犯人はレックスが3年経ってもスサキアを探し続けていることを知りその心理を巧みに突いて、更に理論を確固たるものにしようと企むわけです。
レックスの前に姿を現し、スサキアがどうなったか教えると持ちかける。
この映画は、犯人の性格と自前の哲学が融合した理論が根底にあり、緻密な計画も偶然には及ばない・・・という、良きにすれ悪しきにすれ、世の中はそういうものだって結論。
恐らく犯人にとっては、レックスがスサキアを探し続けていたことさえも偶然の産物だったのでしょう。
リメイク版とは違い、そういう不条理とも思えることは世の常であるという恐ろしさを決定的にしたのがラストだと思うんですよ。
「悪は滅びる」ということを信じて正義ぶってるアメリカとの違いが、リメイクを観るとよくわかる。
犯人はレックスを生き埋めにした後、何事もなかったかのように家族と楽しそうに過ごしている。
そして、レックスとスサキアが埋められてるであろう地面を縫うように映し出す映像。
レックスまでも行方不明になったことを報じる新聞。
いやぁ〜・・・恐いっ!残酷っ!
こっちのオリジナルを先に観てたら、きっと数日は落ち込んだと思う。
でも、サイコ・サスペンスとしては素晴らしい作品だと思います。

デッドマン
1995年アメリカ監督:ジム・ジャームッシュ
出演:ジョニー・デップ、ゲイリー・ファーマー、ロバート・ミッチャム
(´▽`)つ★★★★★
<ストーリー>
時代は1870年頃。
会計士のウィリアム・ブレイクは、西部の町マシーンの鉄工所に就職するためにやってきたが、すでに別の者が職に就いており、社長のディキンソンに追い返されてしまう。
その夜、ウィリアムは娼婦のセルと出会いベットを共にするが、セルの元恋人チャーリーがやってきた。
チャーリーは2人を見て銃を取り出し、セルはウィリアムをかばい射殺されてしまう。
ウィリアムはとっさにセルの拳銃を発砲し、チャーリーを殺して逃亡をはかる。
胸にセルを貫通した銃の弾を受け、途中で気を失ったウィリアムは先住民のノーボディに助けられる。
一方、息子のチャーリーをウィリアムに殺されたディキンソンは、仇を討つために、3人の殺し屋を雇いウィリアムを追わせる。
幻想的な西部劇風ロードムービー・・・と一言で表現できないほどの、静かで奥深いネイティブ・アメリカンのスピリットをモノクロ映画として描いた逸作と言えるでしょう。
バックに響く、人間の心情を語っているかのようなギターの音が心憎いほどマッチしている。
そのギターは、ニール・ヤングがフィルムを観ながら即興で演奏したものだそうです。
西部劇と言えば、乾いた大地とかゴツゴツした岩とかが連想されますけど、この映画はほとんど白樺の森の中のシーン。「お尋ね者」になったウィリアムと先住民のノーボディがある目的地に向かって旅をし、その後から殺し屋が追いかけてくる・・・というお話で、特にオーバー・アクションがあったり、凄まじく撃ち合ったりすることもない。
で、思いますに、この映画のテーマは「死」なのではないかと。
まぁ、「デッドマン」なので当たり前か・・・。
ウィリアムはチャーリーの撃った弾を心臓の近くに受けてしまい、弾を取り出すことができない。
ノーボディーは、「デッドマン」になったとウィリアムに告げる。
つまり、ウィリアムの魂は肉体を抜けてしまったのだと・・・。
この「死」に対するネイティブ・アメリカンの価値観は魂の解放を意味することで、決して忌まわしいこととは捉えていないということがポイント。ノーボディはウィリアムの命を救うのではなく、魂を故郷へ帰すために旅を始めるのです。
まさに、魂の旅。
だからこそ、白樺の森は幻想的で美しく、魂が自然へと回帰するに相応しい雰囲気が全編に渡って漂う。
映像をモノクロにした意味が垣間見えてきました。
特に美しくて心が震えたシーンがあります。
それは、ウィリアムが死んだ小鹿と添い寝するシーン・・・。
本当に美しいと心底思いましたよ(´ー`)
その小鹿の亡き骸をいとおしそうに撫でるシーンは、ウィリアムが死を受け入れたことを象徴してるのでしょうか。
西部へ向かう列車の中ではおどおどして落ち着かなかったウィリアムだったのに、ノーボディと旅を続けていく内に変化していくんですね。
死を受け入れることで怖れがなくなり、ウィリアムは真の自由を得たことで変化していったのでしょう。
そして、まるでウィリアムとノーボディは出会う運命だったような・・・ノーボディの生い立ち話から何となくそう感じました。それから、映画の中で頻繁にノーボディが「タバコを持ってるか?」とウィリアムに尋ねるシーンがあるんですけども、その度にウィリアムは「僕はタバコを吸わない」と返します。
友情と信頼を分かち合う儀式のために用いるのがタバコなんだそうで、ウィリアムはそれを知らない白人という位置付け。
案外そのタバコは重要なポイントなのです。

さてこの映画、結構凄い俳優さんたちがチョコっと出てたりしています。
名優のロバート・ミッチャムを始め、多彩なんですよー。
顔が薄汚かったりして気づかない場合もありますけれど、かなり贅沢な映画ではあります。
それから、個人的にこの映画のジョニーは最高だと思っております、はい。

愛してる、愛してない
2002年フランス監督:レティシア・コロンバン
出演:オドレイ・トトゥ、サミュエル・ル・ビアン、イザベル・カレ
(´▽`)つ★★★★☆
<ストーリー>
美術学校に通うアンジェリクは、妻のいる心臓外科医のロイックと交際している。
そのロイックは、妻との離婚が秒読みに入っていた。
ロイックとの結婚する日を待つアンジェリクは、ロイックとの出会いの記念日にバラの花を一本贈って幸せを満喫していた。
ところがある日、アンジェリクは妊娠している妻と仲良く寄り添うロイックを目撃。
それ以降、アンジェリクの様子がおかしくなっていく。
「アメリ」では妄想好きで、周りを幸せにするキュートな女の子を演じたオドレイ・トトゥが見事に一転したキャラを演じる。
監督は26才の女性で長編映画初とはいえ、なかなかの力作と言えます。
この映画のレビューは、ネタバレなしだと書くのが難しいですね。途中の展開まで観ていくと、付き合っている男が「もうすぐ離婚するから」と言いながら、離婚は本気ではなかった!と知ったアンジェリクは激怒し、相手の男の家庭をぶっ壊す・・・という展開かいな?と思いました。
予想では、執拗なストーカーになって、ネチネチとロイックやその妻を追い込んでいく・・・まぁ、よくある展開なのかなと。
もしかしたら、あのアメリちゃん(トトゥ)が演じてる映画ではなかったら、途中で観るのをやめてたかもしれません。
こういう場合、あのアメリちゃんがどんな悪女になるのやら?という好奇心で観ちゃうものですねー。映画の冒頭は、まるっきりアメリちゃんなのです。
お花屋さんに入り、沢山の花の中で嬉しさ一杯に微笑むアンジェリクはアメリそのものなのです。
それが監督の狙いなのか、まんまと引っ掛けられるわけなんですよ。
その引っ掛けは、映画の半分くらいまでこないと気づきません。
私が予想した展開は繰り広げられるんですが、映画の後半あたりから登場人物の視点がアンジェリクからロイックに移るのです。
そこが監督の斬新さなんですね。なんとアンジェリクの視点で描かれた時系列を今度はロイックの視点でなぞるわけです。
そこで初めて、物事の真実が明らかになっていくんですねー。
いや、驚きました。
前半は「愛してる」側の視点で、後半は「愛していない」側の視点とでも言いますか・・・。
物事の本質は、一方のみの視点からではわからないっていうことですね。
アメリが「陽」ならばアンジェリクが「陰」という感じ。
アメリは何かを企んで、いろいろなことを仕掛けたりして、ハッピーにしていくのに対して、アンジェリクはまったく逆。

ラストでは、地味目に恐いです。

プリシラ
1994年オーストラリア監督:ステファン・エリオット
出演:テレンス・スタンプ、ヒューゴ・ウィーヴィング、ガイ・ピアース
(´▽`)つ★★★★☆
<ストーリー>
ショーガールのバーナデット、ミッチ、フェリシアの3人のドラッグクィーン(女装のゲイ)は、オーストラリアの中部にあるリゾート地でショウをするため、シドニーから”プリシラ”と名付けたバスに乗り旅に出る。
ところが、バスの中でミッチには別れた妻がいて、バイセクシャルだと告白。
道中では、アボリジニと出会ったり、車の故障に見舞われたり、立ち寄った町でゲイへの偏見から罵声を浴びせられたりもする。
この映画はテレンス・スタンプのオカマさんぶりが評判になる程で、私も今まで見たオカマさんの中で一番ステキなオカマさんだと思いました。その評判ぶりを裏付けるように、ゴールデン・グローブ賞と英国アカデミー賞の主演男優賞を受賞。
映画の内容はと言えば、そのオカマさん3人がオーストラリアを旅するロード・ムービー。
赤茶けた大地の中を砂煙を巻き上げながら、バスは突っ走って行きます。
「マトリックス」でわんさか登場して、キアヌたちとバトルを繰り広げるヒューゴ・ウィーヴィングや「メメント」のガイ・ピアースがマッチョなオカマさん・・・っていうのも、充分観る価値はありますね。
この3人のショーでの衣装や化粧がキレイとか美しいとかではなく、とにかくケバイ(;´∀`)これみよがしのショーガールなのだけれど、そのケバケバの化粧の下には様々な苦悩や葛藤を隠してる・・・という風にも取れてくる。
ゲイは都会でこそ生きる場所はあるけれど、田舎では差別や偏見に満ちている。
バスに差別をする言葉を落書きされるんだけど、でもそれを隠すためにピンクのペンキを車体に塗っちゃうあたりは、さすが。
この映画は、それほどシリアスなドラマではなく、旅をするオーストラリアの風景のようにカラッとしている。3人のキャラも個性的で、魅力的でもあるのが良い。
映像もインパクトのあるシーンも多くあり、中でもバスの上で着ている銀色の衣装が真っ青な空を背景になびくシーンは素晴らしい。
とにかく、赤茶けた大地と青い空に相応しいほどの派手な衣装で、さすがはアカデミー賞衣装賞を受賞しただけのことはあります。
3人が途中で出会う修理屋のボブは、なんだかイッちゃってるような日本人の妻に去られて、3人と旅を共にするのです。
その日本人の妻のピンポン玉は、なんと言うか凄いです(ノ´∀`*)
ちょっとHなので、ここでは詳細を書けませんけどね・・・。

オカマさんはタフだなぁ〜・・・っていうイメージがありますけど、劇中に「虐げられて強くなるのよ」というセリフがあり、その強さが人に元気を与えてくれる源なんだなって思えました。
この映画の見所は、なんと言ってもショーですね。
元気になれます。















