記憶の棘
2004年アメリカ監督:ジョナサン・グレイザー
出演:ニコール・キッドマン、キャメロン・ブライト、ダニー・ヒューストン
(´▽`)つ★★★☆☆
<ストーリー>
10年前に夫ショーンを突然の心臓発作により亡くしたアナ。
彼女の哀しみを長い間見守ってくれたジョゼフのプロポーズをようやく受け入れ、婚約したばかり。
そんなアナの母親の誕生日パーティーに、見知らぬ10才くらいの少年が現れ、アナに対し、少年は夫のショーンだと言い出した。
最初は悪いイタズラだと思ったアナだったが、ショーンしか知らないはずの秘密を語る少年を、本当に夫の生まれ変りではないかと思い始めるアナだったのだが・・・。
※ネタバレ含んだ記事です。
アメリカでも物議を呼んだ作品で、人によって見方がバラバラな一風変った作品と言えるでしょう。
当然日本でも多くのレビューは賛否両論だし、解釈も様々・・・ということで、あくまでも私個人の解釈を書きたいと思います。
キリスト教は仏教のような「輪廻転生」という概念がありません。まぁ、そういった宗教観の違いもあって、アメリカでは批判的な意見が多かったようですが・・・。
では日本は?というと、生まれ変りは「有り得る」という認識でしょう。
ただ、この作品に於いて、あの少年は本当に夫の生まれ変わりか否か・・・という点に絞り込んでしまうと、ラストで「なぁ〜んだ」と思ってしまうでしょうね。
でも、そもそも生まれ変った場合の記憶って、どんなものなの?ということです。
劇中、少年は夫のショーンが倒れた場所にアナを呼び出します。
「公園のあの場所で待っている」と。
その後、友人から「なぜあの場所がわかったのか?」と少年に尋ねると、少年は「デジャヴみたいなもの」と答えます。
記憶と言えども、そのデジャヴという感覚が物語っているのでは?と思うんですよ、私は。
多くのレビューには、アナが住むアパートに少年の父親は家庭教師をしに来ていて、そのアパートの1階で待ってた少年がアナを見かける内に恋心を抱いて、亡くなった夫と同じ名前だったために生まれ変りだと思い込んだ・・・と。そういう憶測もできるんですけど、ではなぜクララの後を少年は追ったのか?ということですね。
クララはアナに渡そうとした箱を埋めに行ったんですけど、少年はそんな事情は知らないはずなんです。
生きている人間の場合、記憶は脳の仕事。
しかし、魂の場合は脳がないんですから、記憶というニュアンスは人間の記憶と同じはずだと考えるのは強引だと思います。
そこで「デジャヴ」なんですよ。
私たちも、初めて行く場所のはずなのに「懐かしい」と感じたり、初対面の人なのに「初めて会った感じがしない」とかって経験があると思います。
少年はふとクララを見て、気になったから後を追いかけたのでは?と憶測。
その埋めた箱の中身を見て、少年は夫の情報を得たんだ・・・という風に見せてるけれど、実は違うんじゃないかと思うんですよ。夫のショーンはクララに、アナからもらった手紙を封を開けずに渡していた・・・つまり、少年が夫の魂の記憶を共有しているなら、アナの手紙を初めて読んだことになります。
アナの愛のこもった手紙を読んで、魂に響いたんだと思います。
それまで、なんとなく・・・という感覚だったのが手紙を読んだことでアナとの記憶が導き出されたのでは?と。
まぁ、ここまでくると「霊的(スピリチュアル)」な話になってきますけどね・・・。
生前の夫はアナよりもクララを愛していた・・・とクララから聞く少年。
ショックを受けた少年は、アナを愛しているから夫ではないとアナに打ち明けます。
ここがポイントですね。
ジョゼフと結婚をしたアナは海辺で波と戯れながら泣き出す。
夫のショーンと出会ったのが海辺であり、「アナを愛しているから僕は夫ではない」と言った少年の言葉の意味を知ったのでしょう。
では、少年は夫の生まれ変りなのか?ということですが、私は恐らく生まれ変りなんだと思います。しかし、生まれ変ったとしても、前の人生に固執することが目的ではなく、新しい人生を築いていくことが魂の目的。
昔の記憶と共に生きていくのはアナであり、少年ではないのです。
そういう意味で、ああいうラストなんだろうと思いました。
セリフを極力減らし、顔を長く映す手法はヨーロッパ的でしたね。
直接的な表現を避けてる意味で、わかりにくい印象はあったかもしれませんが・・・。
さて、この作品で二コール・キッドマンはベリーショート・ヘアが素敵でした。
彼女は本当にアップに耐えられる顔立ちだな、と改めて認識。
少年のショーン役の子は、いやぁ〜この子はなんか変に色気ありますねー。
でもキスシーンでの手を見たら、ポチャポチャした手がかわいい♪
良い俳優さんに育ってくれるといいですねー。

















