17歳のカルテ
1999年アメリカ監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ウィノナ・ライダー、アンジェリーナ・ジョリー、クレア・デュヴァル
(´▽`)つ★★☆☆☆
<ストーリー>
1967年、17歳のスザンナ・ケイセンはごく普通の少女だったが、混乱し、不安に苛まれ、大量のアスピリンとウォッカを飲み、自殺を図る。
両親の勧めで精神科に入院し、「ボーダーライン・ディスオーダー(境界性人格障害)」と診断される。
その病院には様々な精神的な症状を抱える少女が入院していたが、彼女たちによってスザンナは自分を取り戻していく。
スザンナ・ケイセンが2年間精神科に入院した日々を綴った著書「思春期病棟の少女たち」を基に映画化した作品で、その著書を読み感銘を受けたウィノナ・ライダーの制作・主演。
この作品で、アンジェリーナ・ジョリーはアカデミー賞助演女優賞を受賞。
その昔、17歳は子供と大人の切り替わりの時期で、精神的不安定になる象徴の年齢でした。周りの大人は絶対であり、そして自分を守ってくれる存在だと思っていた子供が、徐々に「そんなこたぁない存在じゃないか」と知っていく。
今まで言われてきたことを信じられなくなり、いきなりリアルな世の中が見えてくる苦痛。
お伽話を聞かされていたのに、突然「現実を見ろ」と言われる。
大人が隠してきたセクシャルなことに興味を持つけれど、それは罪悪だと自分を責める。
しかし、昨今は低年齢化してきてますけれど。
この作品を観て率直に思ったのは、アンジェリーナの演技力の素晴らしさを堪能できた・・・ってことだけですね。
アメリカの1960年代後半は社会自体が病んでいたし、若者の価値観が急激に変化していた時代であった中、その狭間で精神をコントロールするには未熟な若者たちの何かしらが垣間見れるのかと思いましたが、それもないまま「自分が異常なのか世の中が異常なのか」と問われても・・・。
原作は箇条書きで綴られているということで、物語性を持たせるために創作したエピソードを挟み込んでいます。そのエピソードに感銘を受ける人が多い皮肉。
ウィノナ自身も精神科に一週間入院したり、貧しくもないのに万引きしたりと、精神的バランスを欠いていた時期があったために共感できたのでしょうが、自分自身への慰めのために制作したのか?と思えてならない。
思春期の精神的バランスが崩れる理由も原因も「これだ」という明確なものはないし、わかるわけもない。
スザンナが体験し、見聞きしてきたことを綴った原作ならば、そういうスタンスで映画も作って欲しかった。
淡々と・・・そこから観る人が何を感じ取るかは、むしろその人の価値観によって違ってていい。
こういう作品で誘導されるのは不愉快。
それから、入院している少女たちそれぞれの個性が中途半端だったのは残念。一方で、看護婦役のウーピー・ゴールドバーグの押さえ気味の演技や所長(?)の静かにボソボソ喋るのが印象的。
「カッコーの巣の上で」のような冷酷な病院体制を露骨に描いていなものの、どこか患者を人間として扱ってないクールさを感じさせた。
現代は慢性的に大なり小なり精神バランスを崩している人は多く、神経症と言われても特別な気はしない時代になってしまった。
多くの人がカウンセリングに通ったり、入院しないまでも薬を飲みながら生活している。
表面上何でもないように取り繕って生きる方がよほど辛い。
暴れる人より、無気力に苛まれている人の方が多いし、そちらの方がキツイ。
そういうことで、「だから?」という感想しか持てない私は、かつて鬱を経験しているんですけどね。
ちなみに、スザンナが日記を書くことを勧められたのは、適切ですね。
書くことで、頭の中を整理していけます。

ウェールズの山
1995年イギリス監督:クリストファー・マンガ−
出演:ヒュー・グラント、タラ・フィッツジェラルド、コルム・ミーニ−
(´▽`)つ★★★☆☆
<ストーリー>
第一次世界大戦中の1917年、ウェールズ。
ある村にジョージ・ガラートとレジナルド・アンソンのイングランド人が訪れた。
彼らは、フュノン・ガウルの測量にやってきた技師だった。
フュノン・ガウルは侵略者から村を守ってきた「山」で、村人たちの誇りだったが、測量の結果標高299メートルの「丘」だと判定され、村は騒然となった。
「山」として認められるには標高305メートル以上必要だとわかり、村人は技師たちを村に足止めし、一致団結して「山」にするための作戦を立てた。
原題は訳すと「丘を登ったが山を降りたイングランド人」
監督のクリストファー・マンガ−はウェールズ出身で、伝説を基に自ら監督、脚本を手掛けた作品。
ウェールズは13世紀に公国を形成したけれども、同世紀の終わり頃にイングランドに併合された。
連合王国の中でも、スコットランドや北アイルランドとは事情が異なり、イギリスの国旗にウェールズの国旗だけ含まれていません。
ウェールズはイングランドに対して敵対心は持っておらず、ウェールズの人々にとってイングランドは対等な相手だという認識があるそうです。そういう背景から、イングランド人の技師が村に来た時に特別視していない雰囲気は納得。
むしろ、英語ではなくウェールズ語を喋る村人たちに対して戸惑っているイングランド人・・・という感じで、アタフタしているっぷりが可笑しい。
そして、「山」だと思っていたのに「丘」だと判定されたことが一大事っていうエピソードが世知辛い世の中の昨今、心温まるお話なんですねぇ。
自分たちの祖先を守ってきた「山」が「丘」だなんて納得しねぇ!ってことで、言わば人工的に「山」を作るぞってことなんですけれど、神父さんとパブの店主の仲違いの話も交えて、物語は進んでいきます。
で、やはり見せ場は、村人総出で「山」にするために作業するシーン。日本の山とは違い、イギリスの山は森林で覆われていないということで、村人の列を成しているシーンは美しくもありました。
その作業のシーンは、ウェールズの人々がエキストラで出ているんだそうです。
しかし、それだけでは弱いと思ったのか、イングランド人の青年技師(ヒュー・グラント)のロマンスは取って付けた感があって貧弱。
だから、「山」を降りてきた辺りが散漫になった気がします。
なんとなく、女にしてやられた世間知らずなヒュー・・・って感じで、少々あのカップルには違和感が。
その分、もう少し村人たちを丁寧に描いても良かったんじゃないかと思うんですけど・・・。
最近は単なるスケベな男の役が多くなってるヒューですけど、奥手でシャイな男を演じているのは、今観ると新鮮ではありますね。
さて、この作品のラストを観て思ったのですけど、今現在、フュノン・ガルウは「山」なんでしょうか?「丘」なんでしょうか?

誘う女
1995年アメリカ監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ニコール・キッドマン、マット・ディロン、ホアキン・フェニックス
(´▽`)つ★★★☆☆
<ストーリー>
ニューハンプシャーに住むスーザン・ストーンは、「TVに出て有名になる」という気持ちが強く、TV報道を大学で専攻し卒業していた。
そんなスーザンは、父親の経営するイタリアン・レストランで働くラリー・マレットと結婚し、ハネムーン先をTV界の大物たちが会合を開くホテルのあるフロリダを選んだ。
そこで得た情報を元に、スーザンは地元のTV局に猛アピール。
本来は雑用係を募集していたTV局のエドだったが、彼女を採用。
そして、雑用係では足りない様子のスーザンをお天気キャスターに起用する。
しかしスーザンはお天気キャスターでは飽き足らず、高校生たちの実態を描くドキュメンタリーの企画を出し、許可を得ると落ちこぼれの高校生3人の取材を始める。
一方で、子供を欲しがる夫ラリーにスーザンは邪魔に感じ、取材している高校生に夫殺害を依頼する。
女教師が教え子を誘い、夫を殺害させたパメラ・スマート事件を基にしたジョイス・メナードの小説「誘惑」を映画化した作品。
この映画の主演を得るために、スーザンよろしく二コール・キッドマンは相当に自分を売り込んだそうです。
この作品は、設定を変えて事件をなぞらえている構成ではなく、監督ガスらしく全体がインタビューという形を中心に事件を描いています。スーザンはカメラ目線で独白。
他の家族や関係者は取材のインタビューを受けてる形だったり、TV番組に出演してる形だったりして、自分の気持ちを吐き出している。
そして、再現ドラマ風にコトの全体を挟み込む。
つまりは、高校生を利用して夫を殺害したという事件は客観的に語る者は誰一人いないのです。
映画としては、この作品を観ている者が事件に対してどう思うか?とは問うてはいません。こういう事件を野次馬根性で騒ぎ立て、煽るマスメディアに対する皮肉ですからね。
映画の中でTV番組に一緒に出演させられる、加害者側の家族と被害者側の家族・・・何だそれ?な印象を受けますが、そんなことはアメリカのマスコミでは当たり前なのでしょうかね?
そして、嬉々として事件の取材を受けるという点は、日本でもよく見られます。
まぁ、日本の場合は胸だけの映像になりますが・・・。
犯人像を得るために近所の人に「どんな感じの人でしたか?」なんてインタビューして、ここぞとばかりに答えてる人いますね。
そんなことを踏まえてこの作品を観ていると、それぞれが自分の立場で主観的なことしか言っていないのがわかる。スーザンの人間性を汲み取るには、彼女が独白している部分が肝心なのだけれど、それは闇に葬られてしまうという皮肉さ。
こういうスキャンダラスな事件が起きた時、人は何を知りたがるのでしょうか?
他人の不幸は蜜の味・・・というのがマスメディアの根底にあるものだし、情報操作なんて朝飯前。
「この女は悪魔みたいな女なんだよ!」と思わせるのは、何でもないことなのです。
しかしこの作品では事実とは異なり、夫には何の問題もないように描かれてますね。
被害者を悪く言っちゃいけません・・・ってことなんでしょうか?
ガスのことだから、その辺も意図的なのかもしれませんが・・・。
さて、ニコール・キッドマンが魅せまくりです。ミニスカートがやけに似合ってて、羨ましい限りのプロポーション。
自分の頭の中では当然のことをしたまでよ・・・という、幸せ回路発動してるっぷりの演技も見事でした。
で、ちょっと足りなさそうな高校生にホアキン・フェニックスが演じてるんだけど、TOKIOの長瀬に見えて仕方なかった(;・∀・)
モゴモゴとセリフを言わせるのって、ガスは好きなんですかねー?
リヴァ−にもそんなセリフ回しをさせていた印象があったので、弟にもか!と思ってしまいましたよ。
最近、日本の情報番組は捏造やらヤラセが発覚してますけど、マスメディアの本来在るべき姿を逸脱しているのは、どこも一緒なんでしょうね。

















