>>全ての記事を表示する

※本ブログはサイトに移行しました。
ブログ記事を編集、再掲し、検索しやすいようにしました。
只今サイトで更新中。

サイト → 「偏愛シネマちっく」

ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ1990年イギリス
監督:トム・ストッパード
出演:ゲイリー・オールドマン、ティム・ロス、リチャード・ドレイファス

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
ハムレットの学友ローゼンクランツとギルデンスターンは、新国王クローディアスからハムレットの身辺を見張るように命じられる。
しかし、彼らはハムレットの策略で処刑されてしまう。


かの有名なシェークスピアの「ハムレット」の劇中、「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」と報告されるだけの2人に焦点を当てたトム・ストッパードの戯曲をストッパード自身が監督し映画化した作品。
この作品は1990年、ヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞した。

rosen.jpgまずは、この作品は「ハムレット」を知らなければお話にならない。
ストーリーというよりも、セリフの醍醐味が半減・・・ともすれば面白味を充分に味わうことが不可能だ。
この作品は一言で言うならば、まったく喜劇ではない「ハムレット」という作品の喜劇的裏話。

この作品の面白いところは、「ハムレット」の本作を演じている人物、そして観ている観客も「ハムレット」を知っている一方で、ローゼンクランツとギルデンスターンは「ハムレット」を知らないという二重構造で話が進んでいく点。
彼ら2人は、いきなり「ハムレット」の中に放り込まれ、なぜ自分たちが死ななければならなかったのかをシェークスピアの中に求めていく旅なのです。

rosen2.jpgいきなり「ハムレット」の中に放り込まれた2人は、お互いのキャラクターを区別できず、名前まで取り間違えたりして混乱していく。
その混乱ぶりがおかしく、なんだかんだしながら自分たちのキャラクターを理解していく。
そして、コインを投げると表の出る確率という法則だとか発見してウハウハし、ゲイリー・オールドマンがたぶん演じているローゼンクランツが万有引力だとか惰性の法則を見つけてウハウハしてると、見事にギルデンスターンに無視されるあたりは笑ってしまう。
で、一応「ハムレット」よろしく、人の存在だとか死について哲学的に語ってみたりもする。

「ハムレット」の登場人物は通常の物語通り話が進んでいくが、その中に2人はひっそり潜んでそれを見ているのだ。
途中で彼らは旅の一座に出会う。
そこの座長は、「ハムレットをわかっている世界」と「ハムレットをわかっていない世界」の両方を把握している人物で、けっこう重要人物なのです。
2人はこの座長に翻弄される。
結局2人は何もわからないまま、「ハムレット」の脚本通りに「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」というセリフで片付けられてしまう。

rosen3.jpg彼らは自分たちが死ぬことがわかっている。
その前提で話が進んでいくので、喜悲劇的に感じるんですよね。
「死の何を恐れるのかわからなければ合理的じゃない」
なんて理屈っぽいセリフも、あっけらかんとした言葉ではなく「死は悲しい」という感情への対抗心ではなかろうか?と。

それにしても、かな〜り超脇役の2人(・・・っつうか、名前だけの登場だし)を強引に「ハムレット」に絡ませ、「ハムレット」の劇中で死んだと報告されるだけの彼らのキャラクターを作り上げていく発想は素晴らしい。
シェークスピアに疎い日本人にはとっつきにくい作品ではありますが、シェークスピアに通じている人には高評価な作品です。

ティム・ロスは最高ですねー。
喜悲劇という微妙な雰囲気がよく出ていたと思う。
ゲイリーは、彼自身がクセが強いのでどうなんだ・・・?って感じはしますが、まぁ賞も受賞しましたしね。

そして、これを機に「ハムレット」をちゃんと観てみた中の一人は私です(;・∀・)
逆パターンで観たら、「ハムレット」の中のセリフとか場面で「これだっ!」と盛り上がった数少ない人間かと思います・・・ (。・x・)ゝ

にほんブログ村 映画ブログ 外国映画(洋画)へ ← ランキング参加中です。他の映画ブログ検索にも便利♪  

2007年02月04日 映画ま〜わ行 1990年代 トラックバック:0 コメント:0

失踪 妄想は究極の凶器

1993年アメリカ
監督:ジョルジュ・シュルイツアー
出演:キーファー・サザーランド、ジェフ・ブリッジス、ナンシー・トラビス、サンドラ・ブロック

(´▽`)つ★★★☆☆

<ストーリー>
作家志望のジェフは恋人のダイアンとドライブに出かけたが、途中立ち寄った店でダイアンが突然失踪してしまう。
手がかりもないまま3年が経ち、新しい恋人ができたジェフだったが、ダイアンを探し続けていた。
そこへ、バーニーという謎の男から連絡が入る。


※ネタバレ含んだ記事です。

無名の頃のサンドラ・ブロックと若々しいキーファーを見るだけでも、一見の価値はある・・・かも?
それにしても、サブ・タイトルの「妄想は究極の凶器」は凄すぎますよ。
釣られそうですね〜・・・(;・∀・)

この映画はリメイクで、1988年オランダ=フランス合作の「消失 ザ・バニシング」がオリジナル。
実は、こちらのオリジナルの方を観たいんですけど、近くのお店で探しても見つからず、私の場合は仕方なくリメイクを観た・・・という大変失礼な鑑賞でございます。

まずこの映画はサスペンスとは言え、犯人をしょっぱなから登場させ、ご丁寧にも誘拐するシミュレーションのシーンまで見せてくれる。
そして、街に出て女性を不器用にも誘っては失敗するシーンも。
ここいらへんでは、到底誘拐が成功するとは思えない犯人像・・・犯人役はジェフ・ブリッジスで、七三分けのボブヘアー。
長い前髪を顔を斜め気味にしてかき上げる仕草が、キャラ的にも効果があったと思う。

TheVanishing.jpg一方、ダイアンが突然消えてしまい、3年も探し続けるジェフ役はキーファー。
「尋ね人」のポスターをずっと貼り続けていたけれど、消えたダイアンに固執し続けている雰囲気が弱いかな・・・。
新しい恋人もできるんだけれど、その彼女との間で揺れ動くという描写も貧弱で、新しい恋人がダイアンに嫉妬する要素は余計な気がした。
こういう、「私を愛してるの?愛してないの?」とかいう二極的に走る女性が登場すると、ストーリーが散漫になることが多いので、私はこういう手の女性が出ると萎えてきちゃう。
結局、ダイアン探しのジェフ・・・というより、新しい彼女にご機嫌を取るジェフという感じの中盤。

そして、終盤にさしかかると、いよいよジェフと犯人がご対面する。
これは私たちも知りたいと思いつつ観ていた、「ダイアンはどうなったか?」という真相が明かされる。
その疑問はダイアンが失踪してしまった後から続いていた訳で、新しい恋人のことはどうでもいいことなんですよ、観てる方は。
犯人はすでに誰なのかは知っているし、仕事も、家庭のことも私たちは既に知っている。
たったひとつ知らないのは、ダイアンのその後。

theVanishing03.jpg犯人はジェフを弄ぶように、その心理を突いてくる。
「知りたかったら、彼女と同じ体験をしなければならない」
そう言われ、薬の入ったコーヒーを差し出される。
これはジェフにとっての究極の選択になるんですねー。
飲まなければ、ダイアンのことは永遠にわからないままになるだろう・・・でも飲んだら死ぬことになるかもしれない。
ジェフの欲求がどちらに傾くのか・・・?

やはり、人間は知りたいという欲求を満たしたい生き物なんですね・・・ということで、ジェフはコーヒーを飲んだ。
意識を失い、気がついたら・・・狭い木箱(棺桶?)の中に入れられ、地面に生き埋めされていた。
これが答えっちゅう訳ですよ。
怖いですね〜〜〜 (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
私は狭いところが苦手なので、想像するだけでも息苦しくなりましたよ。
ところが、ハリウッドはキーファーを生き埋めにはしませんよってことで、新しい恋人が何とか犯人の居場所を突き止めやってくる。
さぁ!ここからスーパーウーマンの犯人退治の始まりです。

で、お約束ながらジェフは無事に彼女によって助けられ、めでたしめでたし・・・ダイアンのことは忘れるよ〜ん♪とばかりに・・・。
哀れや、ダイアン・・・。

オリジナルの方はスーパーウーマンが登場しないのでしょう。
ハリウッドの娯楽性重視は、ワンパターンに陥ることが多いので大事なラストが似たり寄ったりしてしまう。
ハリウッド映画の衰退は、そこら辺に原因がありそうですけどね。

にほんブログ村 映画ブログ 外国映画(洋画)へ ← ランキング参加中です。他の映画ブログ検索にも便利♪  

2006年12月17日 映画ま〜わ行 1990年代 トラックバック:0 コメント:0

ライアー

1997年アメリカ
監督:ジョナス・ペイト、ジョシュ・ペイト
出演:ティム・ロス、クリス・ペン、マイケル・ルーカー、レネー・ゼルウィガー

(´▽`)つ★★★★☆

<ストーリー>
取調室でウェイランドが娼婦殺人事件の容疑者としてポリグラフ(嘘発見器)をかけられていた。
若く経験の浅いブラクストンとポリグラフ検査のベテランであるケネソウが取り調べを始めた。
有力な手がかりもあり、クロであると2人の刑事は考えていたが、天才的な頭脳を持つウェイランドに翻弄される。


今回は、極力ネタバレなしでレビューしたいと思いますけど、ちょっと匂わせるかもしれません。

タイトル通り、この映画はがキーワードであり、この手のタイプの映画では有名な「ユージュアル・サスペクツ」よりも、作り手は挑戦的かもしれない。
なぜなら、最初から誰かが嘘をついていることを前提で観させるからだ。

映画はいきなり、取調室で容疑者のウェイランドがポリグラフにかけられるシーンから始まる。
そして、ご丁寧にも主要な登場人物3人の学歴・職歴・IQなどをテロップで紹介してくれる。
ここから、すでに挑発が始まってますねー。
私たちに先入観を与え、どんどん客観的にストーリーを追わせる。
そして、映画の中では娼婦のエリザベスをウェイランドが殺害したかどうかに焦点を当て、私たちもウェイランドが犯人なのかどうか・・・という視点に絞らされていく。

ウェイランドの家庭状況や親子関係、エリザベスと出会った時の供述と回想部分・・・どこからどこまで真実で、どれが妄想なのか・・・これは、観る者の狙いをわざわざ混乱させてるんでしょうねー。
「ウェイランドが犯人ならば」ということを仮定しながら見ても、殺害する動機を察する安易なシーンやセリフはない。
とにかく、この映画はサスペンスのお約束をことごとく破っていくので、私なんかは置いてきぼりを食らった気分になった。
そして、終盤にかけて明らかになっていく事実によって、ウェイランドはゲームを仕掛けていたことがようやくわかる。

そのゲームの相手になったのが、人の嘘を暴いてきた経歴の持ち主。
そして、妻がいながらエリザベスと不倫していた男。
では、なぜターゲットになってしまったのか?
それは、恐らくエリザベスとの会話の中に、ウェイランドの想いを見出せるんではないでしょうか?
この映画の中で、唯一「嘘」をついていないのはエリザベスだけで、彼女は常に本音を語っていたように思うし、ウェイランドもまた本音を出していたところがあると思う。

この映画は最初に「客観的にストーリーを追わせる」というトラップを私たちにかけた。
それによって、ウェイランドの本当の気持ちを推し量ることをせずに、状況だけを追うことに徹してしまう。
結局のところ、「嘘」を暴いていくんではなく、「本音」を見出していかねば、この映画の真意はわからないままかもしれないですね。

娼婦エリザベス役のゼルウィガーの危なげな色気が、クロエ・ウェッブを思い起こさせました。

にほんブログ村 映画ブログ 外国映画(洋画)へ ← ランキング参加中です。他の映画ブログ検索にも便利♪  

2006年12月16日 映画ま〜わ行 1990年代 トラックバック:0 コメント:0